その味わい深さを皆さんと共有するために、まずは愛知県美術館の学芸員の中村史子さんに、「現代美術」とはどういったものか、を伺います。
「現代」とは時代区分を指す言葉
藤田印象派の展覧会へ行くと、きれいな風景や人物を描いた絵画が並んでいます。かたや現代美術の展覧会へ行くと、絵画もあれば彫刻もあり、映像もあれば写真もあり、中にはインスタレーションと呼ばれる展示室に美術品なのかモノなのか分からないものが置かれていることも。「現代美術の作品」は基準があるのでしょうか。
中村史子学芸員 (以下、中村)
「現代」とは時代区分を指す言葉です。日本の美術界では、主に第二次世界大戦以降を指すことが多いようです。そのため、それ以降に制作されたものを「現代美術」と呼ぶことが多く、素材や技法の共通点が必ずしもあるわけではないと思います。
藤田
そうなんですね!であれば、私が落書きした絵やシャメも、現代美術と呼ぶのでしょうか。
中村
う~ん、そうですね。そもそも、「アーティスト」という免許や国家資格のようなものがあれば、誰がアーティストで誰がアーティストではないかが明白に分かります。しかしそのようなものはありません。また、つくり手自身は「アーティスト」という意識も「現代美術」という意識もなかったのに、現代美術展で制作した物が紹介、展示されるケースもたびたびあります。そのため、「つくり手がアーティストか否か」ではなく「その物が現代社会を何らかの形で刻印しているか否か」が重要だと私は考えています。
藤田
なるほど、ただの落書きやシャメでは現代社会は表現してませんね(笑)。ところで中村さんは美術館学芸員、つまり展覧会を企画(キュレーション)する仕事=キュレーターをなさっています。ゴッホやピカソの展覧会をキュレーションする、とはあまり聞かないような気がするのですが、キュレーションという言葉は現代美術だけのものですか?
中村
基本的に扱う時代区分とキュレーションの有無は関係ありません。ゴッホやピカソであっても、現在活動中の作家であっても、考古遺物であっても、何をどう見せるかを考えて展示物を構成していく仕事は必要です。その仕事をキュレーションと呼ぶことはできます。また当たり前ですが、考古遺物を専門にするキュレーターもいます。そのため、「キュレーション」や「キュレーター」という言葉は、現代美術だけと関わりのあるものではありません。
藤田
つまり、現代美術だから何か特別、というわけではないのですね。
中村
そのとおりです。誰かと会ったり話すとき、ことさら「この人は現代人だ!」と意識することはまずないですよね。それと同じように、ことさら現代美術!と身構えることは必要ないと思います。強いて言えば、今を生きている私たちと同じ空気を吸って変化してゆく途中の美術、という感じで作品を見てはいかがでしょうか。