2020年、TOKYOをデザインする女性建築家
皆さん、ザハ・ハディドってご存知でしょうか?どこか場所の名前?・・・いえいえ、人の名前です。デザインを業にしているイシカワですから、デザインに関係する人のことです。
2020年に開催予定の東京五輪。メインスタジアム新国立競技場(現:国立競技場)のコンペを勝ち取った建築家というとお分かりでしょうか、ね。
現在このスタジアム計画は、建築業界はもちろん各界で論議を醸し出して止みません。
ちなみにコンペの審査委員長は、建築家:安藤忠男。
論議は別として、東京オペラシティ アートギャラリーで開催の「ザハ・ハディド」展から、彼女の仕事、とくにファニチャーデザインをご紹介します。
ザハ・ハディドのデザインを知る絶好の機会となるでしょうから、ね。
ザハ・ハディドの画像
ザハ・ハディド。イラク生まれの女性建築家。
恵まれた家庭に生まれたザハはベイルートの大学で数学を学び、英国建築家協会付属建築学校(AAスクール)卒業後、1980年に自身の事務所を設立します。
(あくまでも私見ですが)当時からかなり過激なデザインスタイルで、そのどれもが計画の途中で中止となり実現するにはいたらなかったのです。
2004年には女性初のプリツカー賞(建築界のノーベル賞)を受賞。彼女は、建築だけでなく、デザインプロダクトも数多く手掛けるデザイナー。
日本でも精力的に建築デザイン活動しましたが、いづれもプランプロジェクト(実現しない)に終止しました。1990年、札幌のレストランの内装が彼女のキャリア初の実現プロジェクトとなりました。
イシカワも学生時代か卒業間もない頃、建築雑誌や専門誌に掲載された彼女の仕事を鮮明に記憶しています。
復元されたムーン・スーンのソファ
会場では、エントランスのすぐそこに札幌のレストラン「ムーン・スーン」の為に彼女がデザインした「ソファ」が展示されています。札幌・中島公園の近くあったムーン・スーンは、JASMACが経営したレストラン。通りの反対面にはナイジェルコーツがデザインした「ノアの箱船」があり、当時見学を兼ねて行った現地が懐かしい。
ムーン・スーンは既に現存しておらず、今回の個展の為にザハがデザインしたソファを特別に再現。製作はミネルバ、日本人初の家具モデラー 宮本茂紀さん(黄綬褒章受章)が製作されたとのこと。(キュレター:野村しのぶさん)
例えが妙だが、岡本太郎さんの絵画に登場してきそうなこのソファは当時、レストラン内装の中心に添えたオブジェトとして存在感のあるものでした。
時代はバフルの真っただ中、形状にしろ、色使いにしろ、社会を反映したように見えますが、機能的に出来ているソファなのです。
連なる島のような黒い座面に規則的に空けられた穴は、背クッションやサイドテーブルを支持する為のもの。この穴にクッションやテーブルの脚を挿入固定し、使用状況に合わせて自由にレイアウト(位置)を変えられるのです。
当時の店内では、このサイドテーブルをトレイがわりにウェイターが食べ物や飲物を運んだ風景が様になっていました。
エントランスにいきなり登場するソファを囲むようにザハのドローイングやモデルが展示されています。
ほとんど作品は当時実現されませんでしたが、完成度とオリジナリティの高い作品はどれもグラフィカルで見る者を視線を奪って行きます。
突き当たり右側の次の空間では、プロダクトから都市計画まで手がけるザハの作品群が浮遊しています。
そこには、美しすぎるテーブルがありました。