ロシアとイタリアは別世界
本田圭佑、覚醒の理由を探る。
好調の要因はどこにあるのか。イタリアの全国紙『コリエーレ・デレ・セラ』紙で、30年以上にわたってACミランを取材しているアルベルト・コスタ氏に聞いた。
「ホンダは今年の1月にミランへ移籍してきた。シーズン途中に加入した選手は、試合をしながらコンビネーションを構築したり、チーム戦術を理解しなければならない。困難が多いのだが、当時のミランはチーム状態が悪く、監督も代わった。ミランへ来る前の本田はロシアのCSKA(チェスカ)モスクワでプレーしていて、日本では同じヨーロッパと思われるかもしれないが、ロシアとイタリアはあらゆる意味で別世界だ。いきなり活躍するのは難しかっただろう」
”ミランの背番号10”への要求は厳しい
欧州のクラブナンバー1を決めるチャンピオンズリーグで、ACミランはレアル・マドリード(スペイン)に次ぐ7度の優勝を誇る。日本で開催されてきたクラブW杯でも、1989年、90年、2007年と3度の優勝を飾っている。世界的な知名度を持つイタリア屈指の名門で、本田は背番号10のユニフォームを託された。オランダ代表ルート・フリット、旧ユーゴスラビア代表デヤン・サビチェビッチ、クロアチア代表ズボニミール・ボバン、ポルトガル代表ルイ・コスタら、世界的なスーパースターが受け継いできた番号である。メディアとファンの要求は、ひときわ厳しい。評価基準がそもそも高いのだ。
コスタ氏が続ける。
「私がボバンにインタビューをしたとき、彼は『本当に重要な選手しか着けることのできない番号なので、とても大きな責任を感じた』と話していた。ACミランの背番号10は、それぐらい特別なものなんだ」
チーム内でのコミュニケーションにも苦慮していた。「ミランのほかの選手に聞いたところによると」と前置きをしたうえで、コスタ氏は話す。
「最初のうちはイタリア語をあまり喋れないし、知っている選手もほとんどいないから、ひとりで居ることが多かったらしいね」
チームの戦術やチームメイトの特徴を理解する時間的余裕がなく、イタリア語でコミュニケーションを取るのが難しかった。そのうえ、誰よりもプレッシャーの大きい背番号10を背負い、チームは過去10年で最低の8位でシーズンを終えた──そうした要因が複合的に絡み合い、昨シーズンの本田は周囲を納得させることができなかった。
しかし、今シーズンは違う。コスタ氏の表情も明るくなる。
「ブラジルW杯のあとにバカンスを過ごし、シーズン前からチームで練習ができた。状況ははっきりと好転したね。インザーギ監督は、つねに彼を使いたいと思っているし。これまでは英語でやりとりしていたみたいだけど、選手同士ではイタリア語を少しずつ話しているそうで、それはすごく大事なことだ。そうそう、本田はクリスマスまでにイタリア語で記者会見をするって、僕ら地元メディアに約束をしてくれているんだ」
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