「相手のため」は、実は自分のため?
「いい妻(彼女)でいたい」。それは誰にとってのいい妻?
自分の貯金を勝手に使い込み、転職と失業を繰り返し借金を重ねる夫に対して、私は声を荒げて怒ったり、制したりしませんでした。9年の結婚生活のなかで声を荒げたのは3回ほどだけです。「いいよ」「応援してるよ」と優しく言って支えていれば、彼は自主的に努力してくれるだろうと思っていました。
ところが実際は、借金はどんどんふくれあがりました。甘やかしていただけだったのです。
私はずっと、「どうして私の努力をわかってくれないのだろう」と思っていました。私が努力しているのだから、夫も努力して変わるべきだと。それが実は傲慢なことだと気づいたのは離婚後のことでした。
私は『いい妻』でいたいから、彼に『NO』と言えなかった。つまり、「彼を支える優しい妻」という位置から動こうとしなかったのです。本当に夫のことを愛しているのなら、「目を覚まして!」と鬼の形相で叱ったり、「借金なんてもうイヤ!」と感情表現したりしたのかもしれません。そうしていれば、夫は目を覚ましたのかもしれません。
「相手のためにがんばっているのに」と思っていたことが、実は、自分のためだった。そういうことは、人間関係に於いて、意外によくあることなのではないでしょうか。