家具デザインそれも仕事はじめは、作図だった。
本展は、パリ近代美術館でのパリ近代美術館、東京国立近代美術館、その他から198点の立体、平面、写真、映像を17のトピックで構成している。まず、ピエール・シャローについて。
1883年、ボルドー生まれ。建築の勉強をしたわけでもなく、英国家具の会社のパリ支店に勤務しながら修行を積んだ。1903年に製図工として入社し1914年に退社の際の肩書きはチーフドラフトマンだった。1919年に独立して初めての注文作品がサロンで認められ、そこから家具、インテリア、建築という領域で活躍し始めた。
つまり、家具デザインそれも仕事はじめは作図、それからインテリアデザイン、そして建築家となった人なのだ。
シャローと言えば『ガラスの家』・・・映像ぐらいは見たことがある。
近代建築の代表作で、20世紀初頭の機械主義的、近代的な新しい生活を提案するとても美しい作品だ。
1930年に彼の展示会を開催したが当時は認められなかった。1993年に回顧展をパリ近代美術館で開催し、それ以降ポンピドゥーでコレクションし始めた。地元フランスでも彼の没後43年経って認められた経緯なのだ。
パリ国立近代美術館主任学装員が語るシャロー4つの魅力
コレクションもシャローに近しい人々のお陰で可能となった。彼のクライアンとや非常に関係の深かった職人たちのお陰だという。コレクションを始め、研究が進むとシャローのオリジナリティー、つまり彼の特記すべきことが何なのかが見えてきた、とサンカルブル氏が語り始めた。
シャローの4点のオリジナリティー
まず第1点目は、キャリアが10年あまりという短さ。(第一次世界対戦後から1932年まで)
10年という短い期間に凝縮された活動は非常に希有なこと。
第2点目は、
建築の勉強をしていなかった建築家。
英国家具の会社のパリ支店での修行から仕事を通して建築家として認められた。
第3点目は、
彼の家具は建築家の家具。
そしてconstructor(コンストラクター)、つまり職人の家具でもある。
装飾はなく、脚は柱、面は壁として建築要素の構成としてとらえられる。
第4点目は、
デザインの近代化を自覚していた。
ドイツと違って当時のパリでは「近代化」は戦いだった。同時時代ドイツではバウハウスが誕生し近代的なデザイン教育と作品が生まれた時代。