世田谷の住宅地における「成城」とは?

世田谷区の面積は23区の中では大田区に次いで2番目に広く、人口は約90万人と最も多い。人口90万人と言えば地方の政令指定都市に匹敵する規模であり、いかに多くの人が暮らしているかがわかる。これだけ多くの人口が集まる背景としては、暮らしに適したエリアとして居住環境や利便性などが評価されていることに他ならないということだろうし、実際「世田谷に住みたい」と考える人は少なくない。

ただひとくちに世田谷と言っても、多くの沿線・駅があり、いろいろな街がある。しかし「何となく環境が良さそうだから」とか「親族や知り合いが住みやすいと言っているから」というような漠然としたイメージはあるものの、具体的な街は挙げられることが少ないという印象だ。そんな中で、世田谷を代表する邸宅街として真っ先にその名が挙がることが多いのが「成城」ではないだろうか。世田谷の住宅地としてのイメージの良さを、ひとつのカタチとして具体化しているのが「成城」なのだ。

周辺の街並み(※現地より約390m/徒歩5分)

周辺の街並み(※現地より約390m/徒歩5分)



なぜ「成城」の環境は良好に保たれているのか?

「成城」というアドレスの由来はもちろん「成城
成城大学(※現地より約860m/徒歩11分)

成城大学(※現地より約860m/徒歩11分)

学園」だが、学園の歴史と街の歴史は概ね90年にもなる。大正から昭和に移る時代、関東大震災からの復興とあいまって急激に進んだ都市化の波。手狭になった学校が近郊に移転の地を求め、併せて行われた宅地開発は、教員や生徒の家族のためでもある。もちろん利便性を担保するため、当時敷設・延伸が進められていた鉄道路線の駅ができる。こうした鉄道と街の開発がセットになった事例はいくつかあり、現在に続く歴史ある住宅地に成熟していくこととなった。「成城」はそうした中でも、イメージが良好に保たれている街と言って良いだろう。

では何故なのか。開発当初「成城」に居を構えた人々の中には作家・文化人などもいて、新たな街での暮らしが形作られていった。その過程の中で、街の風情を愛で、守る風潮が形成されていったことは想像に難くない。現在では一戸建て居住者等によって法人格成城自治会が結成、「成城憲章」という住民の独自協定がつくられた。これは強制性まではないが「敷地周りの塀は生垣にする」等のルールに則り、街の景観維持に努められている。やはり落ち着いた街並みというのは自然発生的に生まれ維持されるものではなく、そこに暮らす人々の意識、そして愛着によってこそ持続可能なのだ。

周辺の街並み(※現地より約1070m/徒歩14分)

周辺の街並み(※現地より約1070m/徒歩14分)

また「成城」のイメージとして一般的なのは、「成城学園」から西へ真っすぐ延びる銀杏並木だろう。そしてほかの通りにも邸宅街に調和した綺麗な桜並木などがある。たとえ紅葉のひと時・春のひと時だけだとしても、やはりわれわれ日本人の情感に訴えるものがあり、「成城」の街としてのイメージをより高めているのかもしれない。

一方「ザ・パークハウス 成城彩景」の建設地は駅南側、アドレスは「成城一丁目」である。こちら南エリアの街並みも北側に負けず劣らず、閑静で落ち着いた邸宅街の雰囲気だ。また少し界隈を歩くと、外壁のタイルなどの意匠を凝らした高級そうなマンションが散見される。銘板を確認すれば、大手不動産会社によるもので、しかもいわゆるハイスペック仕様が施されたシリーズ名だ。こうした集合住宅もまた街の景観の一部であり、景観・雰囲気が良好に維持されているからこそ、その地に暮らしたいという人があり続ける。結果としてこうした街が人気の住宅地として引き継がれていく。
外観完成予想図(※計画段階の図面を基に描いたもので実際とは異なります)

外観完成予想図(※計画段階の図面を基に描いたもので実際とは異なります)