借金500万円だった売れっ子塾講師時代
田口智隆さん
――田口さんは、かつて借金500万円を抱えて自己破産寸前だったことがあるとか。そもそも借金の原因は、何だったのでしょう?
田口 お恥ずかしい話ですが、職場の後輩や仲間を連れて飲み歩く、ギャンブルにお金をつぎ込む、ブランドものにハマるなど、かなり派手な生活を送っていたんですね。そのせいで、28歳で借金残高が500万円に膨れ上がっていました…。当時私は、塾講師をしていたのですが、ちょうどその頃は予備校のスター講師が注目を浴び始めた時期で、講師業界が非常に華やかでお金の使い方もバブリーだったんです。私も勤めている塾の看板講師として、忙しい日々を送っていました。
――売れっ子講師ともなると、収入も良かったのでは?
田口 月収50万円でボーナスもありましたから、今思うと随分恵まれた環境でした。職場の仲間と高級クラブでどんちゃん騒ぎをして、パーッと飲むことも多かった。そして、お金がなくなったらまた借りて…を繰り返していました。当時はまだ年金問題などもない時代でしたから、将来に向けて貯めようという発想がなかった。しかも、独身で自宅から通っていたので給料=こづかい感覚と、貯まらないシングルの典型でしたね。
――膨れ上がっていく借金に不安はなかったんでしょうか。
田口 正直いって、まったくなかったんです…。ボーナスでまとまった額を返していましたし、返済が滞ったこともなかったので、ある意味会社の赤字操業をずっと続けているようなものでした。とはいえ、何年も借り続けていましたから、トータルで借りた額は、何千万にもなるでしょうか。今は、収入の1/3の額までしか貸出しできないというルールがありますが、当時はまだそういった法律もなく、お金が気軽に借りやすい環境でもありました。
フリマ、せどり、アフィリエイト…収入の複数化で借金を返済!
――その生活にピリオドを打ったきっかけはなんだったのですか?田口 父親が倒れ、父親の経営していた会社を引き継いだことで、高収入だった講師時代から収入が激減したんですね。そして気持ちの変化もありました。ロバート・キヨサキの『金持ち父さん、貧乏父さん』の本との出会いです。この本に刺激を受けて、お金とどう向き合うかを初めて考えるようになった。このままじゃダメだ、借金を返してお金が貯まったら投資をしようと決意したんです。会社をやめて人間関係が変わったことで、飲みに行くこともなくなり、時間とお金の使い方が変わりました。安アパートに引っ越して収入のほとんどを返済に回し、空いた時間で副収入を生み出すことに専念しました。
――どんな方法で副収入を?
田口 まずは、当時付き合っていた彼女と一緒にフリーマーケットに出店し、タンスに溢れていたブランドものや本を売ったんです。お客さんと直接やりとりをしてお金を貰うという商売の基本が学べたし、初めての経験で新鮮でしたね。次に取り組んだのが、ブックオフで安く買った本をAmazonで販売する、いわゆる「せどり」ですね。100円で買った本をAmazonに出店すれば、Amazon側で自動的に決済し、買い手とやりとりまでしてくれる。当時はまだ「せどり」という言葉も知らなかったけれど、あるメルマガでそういう副業があると知りました。僕自身、本が大好きで結構詳しかったので、どういう本が高額で売れるかはなんとなくわかっていたので、取り組みやすかったんです。本業の合間に外出先でブックオフを覗いては、本を探していましたね。メルマガを発信し始めたのもこの頃です。当時、いずれは投資をしたいと思って勉強していたので、その知識を生かしてメルマガで情報を発信することにしたんです。
★田口さんの具体的な副収入における稼ぎ方は……第3回目に続きます
教えてくれたのは……
田口智隆さん
株式会社ファイナンシャルインディペンデンス代表取締役。1972年、埼玉県生まれ。28歳のときに自己破産寸前まで膨らんだ借金を徹底した節約と資産運用によりわずか数年で完済。その後は「収入の複線化」「コア・サテライト投資」で資産を拡大。34歳の時にお金に不自由しない状態「お金のストレスフリー」を実現。株式会社ファイナンシャルインディペンデンスを設立。現在は、その経験を活かしマネー・カウンセリングで個別に相談に乗る一方、より多くの人にお金の大切さを伝えたいという思いから日本全国でセミナー活動を積極的に行っている。『 11歳のバフェットが教えてくれる「経済」の授業』(フォレスト出版)、『お金が貯まらない人の悪い習慣39』(マガジンハウス)、『28歳貯金ゼロから考えるお金のこと』(中経出版)、『「なぜかお金が貯まる人」がやっていること』、『10年後、金持ちになる人 貧乏になる人』(廣済堂出版)など著書多数のお金のカリスマ。
取材・文/西尾英子 パネルデザイン/引間良基