避難所と保健師の関係
災害時に開設される避難所は、地元住民が使用するものが前提となります。自治体所属の保健師も、避難してくる住民も、ある程度周辺の事情に詳しく、顔見知りも多いという共通点があるわけです。ところが、東日本大震災などの大規模災害では、もっと違った避難所と保健師の関係がいくつもできました。正しい呼び方はありませんが、それぞれに分類をしておくと共に、どのような対応を保健師がしたのかについて触れておきましょう。
ざっと並べてみると、地元で避難所を開設したもの以外では、以下のような形態がありました。
被災地の保健師
(自らも被災者・過酷な労働)
・地震と津波で被害→岩手県石巻市、宮城県気仙沼市・宮城県東松島市など
自らも仕事中に被災し、家に帰ることもできないまま即避難所、避難者対応の仕事を始めなければならなかったところです。自分の家族の安否さえ分からないままに、仕事を続けなければならなかった辛さがありました。
石巻市では津波により市役所庁舎1階が浸水し、中にいた職員は外に出ることもできないままに連絡を取り合い、避難所対応をしていました。
いずれも多くの支援者が来たため、その調整役を担うことも求められました。精神的な重圧は計り知れないものがあります。
・地震と津波と放射線で被害
→福島県大熊町・福島県双葉町・福島県浪江町など
原発立地町のため、地震発生後に町を捨て、他地域に集団避難をしたところです。住民とともに地域の避難所に入り、自らも避難所生活をしながら仕事をしていました。保健師にとって大変だったのは、いつ帰ることができるのかまったく先が見えなかったこと。自分たちが被ばくした可能性があることに対する恐怖もありました。
・放射線で被害
→福島県新舘村・福島県川俣町
放射線による被害が深刻ということで、避難をしなければならなかったところです。なぜ避難しなければならないのかを説明することの難しさがあったと思われます。もちろん、放射線に対する恐怖との戦いもありました。なお、川俣町は震災直後、同県の双葉町からの避難者を受け入れていました。
避難者受け入れ側の保健師
(被災者の可能性あり・通常業務と並行)
・地元も被害、被災地からの避難者も受け入れ →岩手県花巻市・福島県三春町など
避難所に使用した三春町町民体育館
自分のところの住民も守らなければならないうえ、助けを求める他地域からの住民の対応も任されるプレッシャーは相当なものでした。
・地元は問題なしで、避難者を受け入れ
→新潟県柏崎市など
新潟県は福島県と接し、高速道路で移動できたこともあり、原発立地町からの避難者が多かったといいます。とくに柏崎市は東京電力の柏崎原発があるため、同じ東京電力の原発がある双葉町や大熊町の住民のなかには、この地に研修で訪れた経験がある人もたちがいて、ある程度市内の地理に詳しかったからという事情もあったようです。
幸か不幸か、柏崎市は中越沖地震での経験があったため、地元住民のための通常保健業務を行いながらも、しっかりした避難者対応ができていました。
・地元は問題なしで、被災者と役場機能を受入れ
→ 埼玉県加須市
双葉町の避難所となった旧騎西高校(加須市)
支援側の保健師
(被災なし・見知らぬ土地での活動)
・被災地の避難所を支援 →奈良県など
奈良県が支援したのは、宮城県気仙沼市や福島県相馬市。どちらも現地に保健師や事務職員を派遣し、避難所対応などの業務につきました。
・避難者を受け入れた自治体を支援
→京都府など
他地域からの避難者を受け入れた福島県会津若松市や、その周辺の避難所対応で保健師を派遣しています。京都府は本来、福島県南相馬市への支援で職員を派遣することになっていましたが、移動途中に原発問題が起き、会津若松市に変更になった経緯があります。
いかがでしょう。避難所と保健師の関係だけでも、こんなに種類があるのです。それぞれに立場が違い、やるべきことが変わります。災害時の保健活動を考えるうえでは、支援される側、支援する側の違いなども、しっかり学んでおくことをおすすめします。