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志賀直哉の短編小説『小僧の神様』の舞台を歩く(3ページ目)

1920(大正9)年に発表された志賀直哉の小説『小僧の神様』の舞台となる神田~京橋を歩き、鮨屋にも入ってみた。

増田 剛己

執筆者:増田 剛己

散歩ガイド

仙吉は京橋にある屋台の鮨屋に入る

そして、仙吉は数日後、京橋にある同業者Sのところに使いに出される。出掛けに往復の電車賃を渡される。どこの停留所から鉄道に乗ったのかは書かれていないが、降りた場所は書かれている。鍛冶橋だ。今も外堀通りに「鍛冶橋」という交差点がある。ここから京橋方面へ行く通りが「鍛冶橋通り」だ。
仙吉が歩いたであろう通り

外堀通りから、京橋方向へ行く「鍛冶橋通り」

仙吉は同業者のSに向かった。途中、鮨屋の前を通る。この鮨屋とは、冒頭、番頭2人が「外濠で十五分」と言っていた鮨屋だ。Sで重みのある小さな段ボール箱を受け取り、店に帰ろうとする仙吉。帰りは鉄道に乗らず、歩いて帰り、片道四銭の電車賃を浮かすつもりだ。これで鮨が食える。先ほど通った鮨屋の前を通って帰ろうとするも、その横丁の反対側に同じ名前の暖簾をかけた屋台の鮨屋を発見する。そして、思い切ってここに入るのだ。
明治5年、火事で消失した銀座は煉瓦造りの町に変わる

「京橋」と書かれたガス燈の復元。

そこには、貴族議員Aがいた。本文から引用しよう。

若い貴族院議員のAは同じ議員仲間のBから、鮨の趣味は握るそばから手掴(てづか)みで食う屋台の鮨でなければ解(わか)らないという通(つう)を頻(しき)りに説(と)かれた。Aはいつしかその立ち食いをやってみようと考えた。そして屋台の旨いという鮨屋を教わっておいた。

貴族院議員のAは、銀座方向から歩いてきて、立ち食い鮨屋の暖簾をくぐる。先客が3人ほどいて、その後ろに立って見ていたら、そこへ仙吉がやってきてAを押しのけ、厚い欅板に並んでいるいくつかの鮨のうち鮪の鮨を手に取るのだが、主人から「六銭だよ」と言われ、鮨を置いて立ち去るのだ。
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