患者さんからの最後の年賀状
「この年賀状が、人生最後になるかもしれない。」こんな覚悟のこもった年賀状が届くとき、人は人生について考え直します
痛みを和らげるペインクリニックを生業としているため、そんな思いを込めた年賀状を受け取ることがあります。今年、Tさんから受け取った一枚も、そんな覚悟の一枚です。
「残された日々を、これからは有意義に過ごしたいと思います。」
60代半ばのTさんが「腰が痛い」と訴えた時には、手の施しようのない末期のすい臓がんでした。
死は避けられない事実であるということ
人は必ず死にます。年をとり衰えること、病気にかかること、災害や不幸、悲しみや貧困など、避けられない苦悩があります。人はこれらに対する心構えを変えることはできても、こうした苦しい状況や現実の存在そのものを変えることはできません。Tさんの場合も、死を受容できても、死そのものの事実を変えることはできません。死の存在は、心の痛みの根源であり、本質です。しかし、これらの解決できない問題を過度に否定せず、見くびらず、けなさず、客観的に見すえ、問題があっても、人は最後の一瞬まで生きなければなりません。私は、死という現実があっても、最後になるかもしれない年賀状にTさんの前向きに生きる決意をくみ取りました。そして、この年賀状を受け取った時、「Tさんは、今を生きている」と確信しました。
長引く痛みに気力をうばわれてしまうケース
死ほどの衝撃ではないものの、しつこくつらい痛みが続くと、人はどうしても気力を失います。そして、「なぜ私ばかり、こんなつらい目にあうのだろうか」とか「なぜ、こんなに頑張っているのに治らないのだろうか」など、考えても解決にならない無用な考えにとらわれます。無用な考えはさらに不安を募らせ、過去の健康だった頃への執着を生み、痛みの苦悩をますます悪化させます。70代のOさんは腰部脊柱管狭窄症と診断され、長引く足のしびれと腰痛を訴え来院されました。「先生、前はこんなじゃなかった。100m歩いたら休まなくちゃならない。自分が情けない。整形に長く通ったけど、痛みが取れない。前は簡単にできたことも、今は思う通りにできない。ありとあらゆるところに行って治療したけど、治らない」と、眉間にしわをよせた表情で訴えます。
「痛みがあっても、今を生きる」ことの大切さ
医学は万能ではありません。人間の能力には限界があり、寿命があります。40代のころと比べて70代の体が衰えて思いどおりに動かなくなっていくことは、自然なことです。頑張ったからといって、報われるわけでもありません。「なぜ?」と問いかけても、答えはありません。Oさんのように過去の元気だったころに幻影を求めても、問題解決にならないどころか、痛みを抱えた現状と比較して、痛みが取れない自分を追い込むだけです。Oさんは、痛みを抱えていてもできることはいろいろあったのに、痛みは完全になくならないと治ったことにならない、と誤った考えにとらわれていました。本当は孫と遊ぶこともできるし、車の運転だってできています。でも、いつも口癖のように「また腰が痛い。治っていない」と家族に愚痴をこぼします。
みなさんは、死を意識してなお人生を見つめて生きるTさんと、取り戻せない若さに落胆し続けるOさん。いずれの人生が充実していると感じられましたか?
ペインクリニックは人生を問う病院である
ペインクリニックは、人の生き方を問う病院かもしれません。厳しい現実を受け入れて生きる人、問題を逃れ逃れてすがって依存したい人、痛みでどうしていいか分からず救いを求めてくる人。痛みを抱えた人、それぞれの終着点がペインクリニックです。まだまだ痛みがあるからといって、ペインクリニックを受診される方は少数派です。しかし、高齢化が進む日本では、痛みに対する正しい考え方や最新の治療を必要とされる方は、これから増え続けることでしょう。痛みで苦しまない人生を医学で導くお手伝いができるよう、これからも情報発信していこうと思います。参考文献:「気力をうばう「体の痛み」がスーッと消える本」 富永喜代
「スピリチュアルな痛み」 ウァルデマール・キッペス