子育ては最も基本的な生命の営み
子育てこそメインストリーム
つまり、子どもを産み、育てることは、生物としての営みのメインストリームであるわけです。生き延びて、子どもを産み、育てるために、日々の糧を求めてさまよう、つまり仕事をするのであって、仕事は本来のメインストリームではありません。
それなのに、現在の社会では、明らかに子育てよりも仕事が優先の価値観がはびこっています。仕事がメインストリームであり、子育てはその合間を縫ってすべきことというようなニュアンスがあります。生物の普遍的な真理とは真逆です。現在の高度に文明化された社会というのは、子育てをめぐる根底にある価値観からしておかしいのです。本末転倒なのです。
子どもは「親にとっての宝」であるだけでなく、「社会にとっての宝」であるはずです。
親にとって、自分の子どもが一番大切なのは当然です。しかし、自分の子どもだけが生き残ればいいという発想では、社会は存続できないでしょう。周りの子どもたちは、自分の子どもと力を合わせて社会を築いていくパートナーとなる存在です。自分の子どもだけは強く、賢く育ったとしても、彼らがたくましく、賢くなければ、社会は存続できません。そうなれば自分の子どもだって共倒れです。
また、わが子以外の多くの子どもたちが社会を受け継いでくれることで、親世代は社会の第一線での役目を終え、余生を過ごすことができるのです。だから「うちの子」だけでなく、子どもはみんな「宝」なのです。
決して誤解してほしくないのですが、子どもを産まないことをいけないといっているのではありません。社会全体で、子どもを守り、育てることが大事なのです。子どもがいないライフスタイルを選んだ人にとっても、間接的に子どもたちの未来のためになることをたくさんしていると思います。CO2を減らしたり、ゴミを減らしたりというエコ活動だってそうです。歴史的に貴重なものを次世代のために残すという活動もそうです。
人は誰でも「社会のために」という意識をもっています。社会を良くするとは、目先のGDPを伸ばすことではありません。次世代にとって暮らしやすい社会を築くということです。