「お世話系育児」と「能力開発系育児」
何気ない遊びが子どもの能力を開発する
食事の世話など「お世話系育児」は必ず誰かがしなければ、子どもは生きていけません。一方遊び相手はいなくても、見た目上、子どもは生きていけます。でも実は、誰かが遊び相手をしてあげなければ、子どもは心身ともに健やかには育ちません。
「お世話系育児」を誰かがしてくれるのであれば、忙しいパパは「能力開発系育児」を優先するという考え方は、ありかなしかでいえば、ありでしょう。遊び相手という役割は、子どもの世話というよりは、どちらかというと教育的な意味合いが大きいといえます。
子どもは遊びを通して学びます。体力を鍛えたいときには鬼ごっこやすもうなど体力を使う遊びに夢中になります。言葉に興味をもつと、しりとりやかるたなど、言葉遊びに熱心になります。
子どもの自発的な遊びは自分を伸ばす「自主練習」
自発的な遊びは、まるで子どもの「自主練」です。子どもは自らが、今、伸ばすべき能力の伸ばし方を、本能的に知っています。できるだけ子どもの自発的な遊びに付き合ってあげることで、子どもの能力は最大限に発揮されると考えられます。子どもの発達のしくみを科学的に研究しているある小児科医は、「子どもの自発性を無視して行われる能力開発プログラムの類は、むしろ子どもの自然な発達を阻害すると考えられます」と警鐘を鳴らしています。
子どもの遊びは一見移り気です。チャンバラをしていた3分後にはお絵かきをはじめたりします。自発的な遊びを「自己開発トレーニング」だと考えるならば、めまぐるしく変わる遊びは、「サーキットトレーニング」です。一部の能力だけを鍛えるのではなく、あらゆる能力をまんべんなく少しずつ鍛えようとしているのだと考えれば、子どもの移り気も理にかなっていることがわかるでしょう。
子どもの自発的な遊びを促す最高の相手は自然です。海や森など、自然の中に子どもを放てば、子どもは次から次へと遊びを発明し、延々遊び続けますよね。追いかければ逃げ回るムシなんて最高の遊び相手です。『子どもはなぜ勉強しなくちゃいけないの?』という書籍を編集執筆したとき、養老孟司さん、茂木健一郎さん、福岡伸一さん、荒俣宏さんという日本屈指の頭のいい人たちをインタビューしました。彼らに共通していたのは、子どものころ、ムシ少年だったことです。