ホンダ、トヨタ参戦、琢磨が活躍
F1ブームが停滞した90年代後半だったが、再びF1が世間の注目を集めるようになった。2000年からホンダが、2002年からトヨタがF1に参戦し、盛んなプロモーションが展開されるようになり、観客数も世間の関心も日々高まっていった。グランドスタンド裏の広場には数多くのメーカーブースが出展され、メーカー対決F1の華やかさがあった。
この時期のブームの軸になった存在として、佐藤琢磨の存在を忘れてはいけないだろう。佐藤琢磨は2001年にF1チャンピオンへの登竜門と言われたイギリスF3で日本人として初めて王者になり、F3マカオGPでも日本人で初めて優勝を果たした。そして、02年よりF1にフル参戦すると、初年度の02年の鈴鹿は初ポイント獲得となる5位入賞(ジョーダン・ホンダ)。翌03年はレギュラーシートを喪失し、BAR・ホンダのテストドライバーとしてレースに帯同。レギュラーのジャック・ビルヌーブの離脱により、突然、日本グランプリの出場が決定。久しぶりのレースというハンデを乗り越えて6位入賞を果たし、これで琢磨の人気は確固たるものになった。
佐藤琢磨が駆ったジョーダン・ホンダ
翌2004年は琢磨の乗ったBAR・ホンダが大活躍。アメリカGPでの3位表彰台獲得もあって、日本グランプリの期待も琢磨に集中。表彰台には一歩届かず4位に終わったものの、日本人ドライバー初優勝の期待を大いに膨らませ、再びF1人気を復活させた主役は佐藤琢磨だったといえる。
琢磨の人気で鈴鹿での日本グランプリの観客動員数が再び増加する一方で、トヨタが買収し再建した富士スピードウェイが2007年からのF1日本グランプリ開催を発表。鈴鹿で最後のレースとなった2006年はミハエル・シューマッハも引退を表明したため、観客数は史上最大の16万人の動員に。「ありがとう、鈴鹿」と書かれた横断幕をファンが至る所に掲げ、観客達は鈴鹿での開催が最後になることを心から惜しんだ。
再び、F1は鈴鹿へ
2007年、2008年と富士で開催されたF1日本グランプリは2009年に再び鈴鹿へと戻った。だが、2008年シーズンをもってホンダはF1から撤退し、皮肉にも日本のメーカーはトヨタのみの参戦となった。当時、トヨタのテストドライバー、小林可夢偉が金曜日のフリー走行に出走するも、この当時はまだ世間的には無名。しかし、その後のアブダビGPなどで好走を見せ、トヨタ撤退後もザウバーのシートを獲得すると、F1日本グランプリの注目は小林可夢偉の活躍に集中することになる。ザウバーから参戦した初年度の2010年はヘアピンカーブで5度のオーバーテイクを決め7位に入賞。ごぼう抜きの攻めのレースが目の肥えたファンや新しい世代のファンの心を掴み、小林可夢偉の可能性に多くのF1ファンが再び夢を見た。
2012年の日本GPで3位表彰台にあがった小林可夢偉
【写真提供:MOBILITYLAND】
そして昨年、小林可夢偉は高い評価に値する見事な走りで、鈴木亜久里以来、2人目となる鈴鹿での3位表彰台を獲得。前を走るマシンがリタイアして掴んだ3位では無く、可夢偉はしっかりとレースをして自力で表彰台を掴んだだけに、これまでの日本人F1ドライバーの中でベストレースだったといえる。
そんなアグレッシブな走りで、鈴鹿で必ず魅せてくれる小林可夢偉も今年はチームの資金難もあり、F1のレギュラーシートを喪失した。今年は久しぶりに日本人F1ドライバー不在のまま、鈴鹿はF1日本グランプリを迎える。2000年、2001年にも日本人ドライバー不在のレースはあったが、この当時はホンダがエンジンサプライヤーとして復帰していたし、ブリヂストンがタイヤ供給で参戦していたので、今の状況とは大きく異なる。
そんな中、トークショーゲストとして、小林可夢偉のF1日本グランプリ来場が発表された。今年はフェラーリの一員としてWEC(世界耐久選手権)を戦っている可夢偉から、来年に向けてポジティブな動きが聞ける事を期待したい。いずれにせよ、何が起こるかわからないのが、F1の世界。何度も最高潮の盛り上がりと困難な時を繰り返して25回目の開催となる鈴鹿F1。今年はニュートラルにF1を楽しめる良い機会であると思うし、今年が来年と明るい未来に向けてのターニングポイントとなる日本グランプリになることを期待したい。
なお、鈴鹿サーキットは2018年までF1日本グランプリを開催する事が決まっている。
【関連リンク】
F1日本グランプリ公式サイト (鈴鹿サーキット)
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