ダンス/ストリートダンスの基本テクニック

ストリートダンスの歴史……1970年代の時代背景と音楽との関係性

ストリートダンスの歴史を語るうえで欠かすことのできない、ストリートダンス黎明期の1970年代についてご紹介します。ロックダンスにポップ、ブレイクダンスなど、今日踊られている多くのジャンルのダンスは、実は1970年代から存在しているのです。

三宅 正

執筆者:三宅 正

ストリートダンスガイド

ストリートダンスの歴史を語るうえで1970年代は外せない

ストリートダンスの歴史をご紹介

ストリートダンスの歴史をご紹介


この記事をご覧の皆さま、初めまして。ストリートダンサー/インストラクターの三宅正と申します。今回は、「ストリートダンスの歴史:1970年代」についてご紹介します。1970年代はストリートダンスのまさに黎明期。今も耳にする、様々なスタイルが誕生した時期でもあります。

なお多くの場合、ストリートダンスの歴史はダンスのジャンルごとに説明される事が多いのですが、本記事ではストリートダンス全体の歴史を、時系列に沿って並べていきたいと思います。
   

ストリートダンスの歴史:1970年代以前

いつの時代も、ダンスというものは音楽と遂になっていることが殆どです。しかしストリートダンスの歴史を語る上でどうしても避けられないのが、黒人音楽と、その一方での人種差別に関する問題です。

現在のようにストリートダンスが世界中で普及し、ダンスミュージックが大きなヒットとなっている今日では考えられないほど、彼らが不遇の時代を過ごしてきたことはここで語るに及びません。

例えばジャズ音楽に合わせて踊るもので言えば、1927年にチャールズ・リンドバーグが大西洋単独無着陸飛行を成功させた事に名の由来を持つ「リンディーホップ※」や、1940年代に生まれた「ビバップ」というジャズのジャンルにちなんだ踊りなどが存在していましたが、彼らの踊りが大きく注目され、また市民権を得るまでには、1970年代まで待たなければなりませんでした。

※当時、差別問題は「踊る場所」さえも区別していました。大ヒット映画『タイタニック』の中で、貴族階級以外の者たちがアクロバティックなペアダンスを踊るシーンがありますが、それがこのリンディーホップなのです。

そして1964年にマーティン・ルーサー・キングJrがノーベル平和賞を受賞、1965年に投票権法が制定される一方で、同じ1960年代後半にかけて相次ぐ指導者の暗殺事件。こうした激動の時代を経て、1970年代以降、遂に彼らの時代へと道が切り拓かれたのです。
 

1970年代(西海岸):「SOUL TRAIN」放映開始とパーティーダンス時代

ドン・コーネリアスがプロデューサー・司会を務める、黒人による黒人のための番組、「SOUL TRAIN」。この番組はまたたく間に全米ネットとなり、拠点をハリウッドに構えます。そして西海岸に住む若者達はこの番組でダンスの腕を披露すべく、オーディションの列を作ることになるのです。

■Lockin'(ロックダンス)
こうした時代の波の中で、ふとした偶然から生まれたダンス、それがLockin'(ロックダンス)でした。ドン・キャンベルが、当時流行していた「Funky Chicken(ルーファス・トーマスの同名曲で踊る、鶏の動きをユーモラスにしたような振り付け)」を上手く踊ることができず、それがオリジナルのスタイルとなってLockin'と呼ばれるようになったというのは有名な話です。

その後、彼は1970年に「The Lockers」を結成、1972年にはこの「SOUL TRAIN」で注目を浴び、鍵をかけるように体を静止させたり(Lock)、観衆を指さしたり(Point)、ピエロのような衣装を着、滑稽に振る舞ったりするそのダンススタイルを不動のものとしました。

■Poppin'(ポップ)
同じく西海岸で、ある兄弟が新たなダンスを生み出しました。カリフォルニア州フレズノ出身の、その兄弟の名はブーガル・サムとポッピン・ピート。既に1960年代に未来映画からインスパイアされて存在していた「ロボットダンス」をベースに、全身の筋肉を弾くような動き(Pop)を加えた踊りを1978年にサムが開発したのです。

その後、サムは弟のピートと共に「Electric Boogaloo Lockers」を結成、後にメンバーを増やし「The Electric Boogaloos」となった彼らは、「SOUL TRAIN」はもちろん、映画「Breakin'」「Breakin'2」で一躍有名となりました。

■Waacking(ワック)/Punking(パンキング)
同様に1970年代に西海岸で生まれたストリートダンスに、Waacking(=Punking)があります。元々はロスのゲイカルチャーの1つで、1970年代初頭からあったと言われていますが、ダイアナ・ロスがこのスタイルのダンサーをバックダンサーとして起用したり、またタイロン・プロクターが「SOUL TRAIN」の中でこのスタイルを広めたことにより普及しました。

■Party Dance(ソウルダンス)
一方で、1970年代は黒人ミュージシャンが一気に人気を獲得した時代でもありました。彼らの音楽には前述のルーファス・トーマスの例のように曲名にちなんだ踊りがあり、1973年に行われた「Wattstax」という野外ライブでは11万人の黒人が熱狂、スタジアムのフィールドで踊る姿がドキュメンタリー映画として編集されています。

そして1977年公開の映画『サタデーナイト・フィーバー』のサウンドトラックも全米で大ヒットを記録するなど、ダンスミュージックの人気は留まるところを知らず、またそれに伴ってパーティーダンス(日本ではソウルダンス)は日本にも輸入され、本国とはまた違った振り付けなどを生みながら独自の形で進化し、今日にまで至ります。
 

1970年代(東海岸):HIPHOPの誕生

一方、東海岸では西海岸とはまた違った大きなムーヴメントが起きよていました。文化としての「HIPHOP」の誕生です。1970年代初頭、ニューヨークのサウス・ブロンクス地区。ディスコブーム真っ只中の時代に、遊びに行くお金を持たない貧困なアフリカ系アメリカ人の若者達は、公園に集まってパーティー(ブロックパーティー)を行うようになります。

■Breakin'(ブレイクダンス)
そこでは、街頭から電源をとってDJがレコードを回し、グラフィティが描かれ、MCと呼ばれるラッパーが即興を披露していました。そして「3人のHIPHOP創始者」の1人、DJクール・ハークは曲と曲の間奏(Break)部分を、より長くかけるために2枚のレコードを使い、「Break Beats」という音楽を考案。それに合わせて「B-BOY」達が踊っていたのが「ブレイクダンス」です。

残るHIPHOPの創始者の2人のうちDJアフリカ・バンバータは「Zulu Nation」を結成、貧困ゆえの暴力やドラッグ組織への関与に反対し、自由や正義、愛などを唱え、また抗争ではなく、ブレイクダンスで争うことを広めました。そして最後の1人グランド・マスター・フラッシュも、その卓越したスキルとエンターテイメント性の高いプレイでHIPHOP文化の普及に貢献しました。
 

現代にいたるまでストリートダンスは変化し続けている

さて今回は、「ストリートダンスの歴史:1970年代」についてご紹介してきました。ここまでご説明してきたように、今日踊られている多くのジャンルのダンスは、実は1970年代から存在しているのです。

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