テロリストの愛読書になったと言われる原作を映画化
■作品名ジャッカルの日
■監督
フレッド・ジンネマン
■主演
エドワード・フォックス
■DVD販売元
ジェネオン・ユニバーサル
この映画を実際に観るまでは、いわゆる「ノアール・フィルム」の一種だと思っていました。
随所にみられるカットバックとスローモーション。反転する色調。濃い影。セリフは極端に少ないか観念的で、詩を聴いているような……そんな映画なのか、と。
確かに、顔も本名も知られていない伝説の暗殺者ジャッカルの登場シーンでは、セリフはあまりありませんでした。たしかに実際格闘する際にペラペラしゃべる人間はいないと思いますし、映画のそんなシーンでも、相手のうめき声があがるくらい。暗殺に使う特注ライフルの受け渡しシーンでも実に淡々と組み立て、性能を確認し、うっすらその薄い唇のはしをあげる程度。
そのライフルを調整するシーンですら、あれはスイカだと思うのですが、それを的に試し打ちをして、なんとドライバーを使って微調整をくりかえしていました。その姿は職人としか言いようのない、システマティックで感情のないもので。ハリウッド映画のどかーんバキーンと言う爆発音、そして激しい口調や悪態に慣れていた眼には、とても新鮮に映りました。
彼はプロで、しかもかのド・ゴール将軍の暗殺を依頼されるほどの腕をもつ、超一流スナイパーなのですから、いちいち感情的になるわけはありません。
目標(成果)を定め、その為に己のやるべきことを冷徹に計算し、実行する。計画立案に際し、主人公ジャッカルがなんの変哲もないノートに5W1Hでチェック表をつくっていた時には、元営業のわたしはつい共感してしまいました。
そのあたりの描写が、「実在の複数のテロリストの愛読書になった」と原作をいわしめてしまうのでしょうか。
主人公ジャッカルが英国人と言う設定のまま、ほんとうに淡々とほぼ無表情で過ごすので、彼を追う人々がうるさく感じてしまう。そして、これだけ「頑張ってる」んだから、仕事が成功すればいいのに。なんて思わず考えてしまった、不思議な作品です。