フラメンコの歴史

フラメンコの歴史

スペインには日本にない、ラテン気質な魅力的な文化であふれています。その中でも土地に根ざしたフラメンコという踊りは、スペインという国の心を知るには大切な文化と言えます。「歌う・弾く・踊る」が三位一体となった、スペイン国民に浸透した伝統芸能です。ここでは、改めてフラメンコの歴史についてひもといてみましょう。
 

フラメンコの歴史・生い立ち

フラメンコは、以前に比べ世間の認知度は上がり、この踊りに触れる機会はずいぶんと増えてきました。それでもその諸説あって、本当のところは良くわかりません。諸説ある中、フラメンコは「歌」から始まったという説が有力です。

1)フラメンコの成り立ち(15世紀~18世紀)
フラメンコはスペインの南部、アンダルシア地方の民族芸術です。そもそもスペインという国は、いろいろな民族や文化が出入りした混沌とした所ですが、特にイスラム文化とキリスト文化の攻防は多くの独自の文化を生み出しました。

そしてそれとは別に15世紀半ばからスペインに入ってきた放浪の民たちが、17世紀ごろアンダルシアに定住を始め、すでにスペイン各地で発達していた土着のスペイン民謡の影響を受けながら歌い始めました。それが次第に発展していき、18世紀末ごろにはセビージャ、ヘレス、カディスのエリアを中心にカンテ(歌)の原型が出来上がったと言われています。

2)「カフェ・カンタンテ」の時代(19世紀~20世紀初頭)
19世紀中ごろには、「カフェ・カンタンテ」と呼ばれるフラメンコ版のライブハウスが次々と出現し、カンテ(歌)、バイレ(踊り)が人々にもてはやされるようになります。20世紀初頭までのこの時期を「カフェ・カンタンテの時代」と呼びます。

3)「カンテ・ボニート」の時代(20世紀初頭~中頃)
1910年を過ぎた頃、流行歌(クプレ)の人気が高まり、フラメンコを専門としたカフェ・カンタンテは衰退していきました。そして「カンテ・ボニート」と呼ばれる亜流の歌を得意とする歌い手が人気を博するようになり、ついに正統派のカンテは隅に追いやられてしまいました。ところが一方、この時代にギターとバイレ(踊り)はとても発達しました。20世紀中頃まで続いたこの時代を「カンテ・ボニートの時代」と呼びます。

4)正統派カンテ復活の時代
1954年に『ペリーコのアンソロジー』と呼ばれる本格的なカンテのアルバムが発売され、正統派カンテ復活の時代に入りました。以来正統派のカンテのコンクールやフェスティバルが盛んになり、「ペーニャ」と呼ばれる愛好家クラブも多く誕生し、カンテの新たなる全盛期を迎えたのです。今のフラメンコのスタイルが確立されたのは、実はわりと近年だったりするのです。

5)現代のフラメンコ=花開くバイレの時代
昔の「カフェ・カンタンテ」は、今は「タブラオ」という名称で、主に観光客相手にフラメンコを見せる店として、また、若手のステップアップの場として重要な役割を担っています。しかし他にスペインでフラメンコを観ようと思ったら、テアトロ(劇場)公演か、フラメンコのペーニャ(愛好家)が主催する小さなコンサートなどでしか観ることは出来ません。意外ではありますが、スペインにおいてフラメンコは、日常にありふれているというわけではないのです。それでもスペインの三大祭に数えられる、南スペインのセビーリャ市の春祭り(正確にはフェリア・デ・アブリル(4月の市)と呼ばれます)には、大勢の人で賑わいます。

近年のフラメンコは踊りが非常に発達しました。かつては上体による美の表現を第一とした女性の踊りは、パンタロンをはいて男のように舞踊する「サパティアード」を踏んで以来、足技を得意とする人が多く現れ、現在では男性と同じように足技を振り付けの中に多用しています。またリズムも、今まででは決まったところで止まったりテンポを変えたりしていたものを、あえて違う拍でやるということも、最近普通になってきました。

フラメンコは世界中で愛され、特に踊りは人気があり、観客も年々増えてきました。日本人のフラメンコ愛好家も増え、当のスペインでも一目置かれています。近年スペインから一流のアーティスト達が、日本を目指して来日するようになっています。ある意味今の時期、日本で観られることは良いチャンスかもしれません。早速、あなたも情熱的なフラメンコを観に行きましょう!

参考文献 濱田滋郎『フラメンコの歴史』(晶文社)

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