4月14日に亡くなられた三國連太郎さんの「お別れの会」が、7月19日六本木のグランドハイアット東京にて行われました。その様子をレポートします。

「三国連太郎 海峡を渡る日~お別れの会」

祭壇に使用した花材は約5000本

祭壇に使用した花材は約5000本。会場がホテルだったので、参列者は喪服ではなく、色味を抑えたスーツが主流

参列者の黙祷からスタートしたお別れの会。発起人代表は松竹の大谷信義会長、ほかに佐藤浩市さんの所属事務所や松竹、東宝、東宝、角川書店各社の代表が発起人となって、無宗教形式で執り行われました。同会には『三國連太郎 海峡を渡る日~お別れの会~』というタイトルがつけられていますが、これは喪主である佐藤浩市さんの提案によるもの。代表作の映画「飢餓海峡」にちなんでつけられたそうですが、「現世から来世から三國が渡っていくのが頭に浮かんだ」と佐藤さんは語ります。

祭壇にも「飢餓海峡」のモチーフが描かれます。菊のラインにブルー系のカーネーションやシネンシスなどで海(荒波)を表現。胡蝶蘭がダイナミックな波しぶきを演出します。

遺影は紙焼きやパネル形式ではなく、モニターで映し出されました。この遺影は2000年、沼津の魚市場にて撮影されたものだとか。献花中は、モニター画面が変化し、出演作の映画の名場面が次々と上映されました。

お別れの会の会場となったのは、六本木にあるグランドハイアット東京の3階「グランドボールルーム」。1000名収容可能な広いボールルームはパーテーションで区切ることができるので、右手の「イースト」をメイン会場に、左手の「ウエスト」を懇親会場として使用しています。

懇親会場では、メイン会場と同様のモニターが設置されて映像が流れているほか、出演作のパネル、三國さん直筆の書なども展示されました。印象的だったのは、三國さん、佐藤さん、お孫さん三世代で撮られた写真。2002年に撮影されたというこの三世代ショットに、映画人としてではなく、本名「佐藤政雄」の一面を垣間見た人も多いのではないでしょうか。


三國さん直筆の書入りの会葬礼状

三國連太郎・会葬礼状

会葬礼状の裏側には、遺影に使用した写真も印刷されています

会葬礼状は観音開きタイプの表裏8ページ構成。ありきたりの文面ではなく、次のような佐藤さんらしい言葉で綴られています。
(前略)
百か日を迎えようとするいま
現世から来世の向かう三國の背中を
三國連太郎の足跡を観ながら
皆様で暖かく見送って頂ければと思っております

さらに、1996年、三國さんがお孫さん宛に書いた直筆の書が印刷されています。
花ひらき
蝶きたり
花ちりて
蝶こりぬ   蓮

「意味は皆様で解釈してください」とのこと。この会葬礼状は、一般の方の献花の際にも配られたそうです。

三國連太郎さんは生前、「戒名不要。散骨希望」という言葉を残していたと、報道で伝えられていました。記者がその点について質問をすると、「お墓に埋葬を予定している」と佐藤さん。あまり多くは語りませんでしたが、家族が納得する葬送をしたいという意図が感じられました。



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