電気自動車普及、衰退の背景

ガソリン車はその後も、各国の支援を受け飛躍的な性能向上を達成していき、電気自動車が歴史に登場する機会はなかなか訪れませんでした。しかし、ガソリン車が石油に絡む政治的・経済的な問題と環境問題などの危機に陥った際は、必ずと言っていいほど電気自動車に注目が集まっていたことも事実です。

資源に乏しい日本では石油の使用のほとんどを海外からの輸入に頼るしか方法がなく、戦前には石油不足が日常化していました。こうした問題もあって、1917年に京都電灯日本電池がアメリカ製電気自動車デトロイト号を5台輸入、そして日中戦争が始まる1930年代になると石油事情はますます深刻化し、1937年に中島製作所と湯浅電池(現ユアサコーポレーション)が商工会から助成を受けて、新設計の電気自動車を製作し、国内各地および満州・台湾などで使用されました。

戦後になっても石油は統制品だったため、
たま号

たま号

電気自動車への需要は小さいながらも続いてゆきました。やがて国産電機自動車の製造が本格的に行われるようになり、当時その象徴と言えたのが、プリンス自動車の前進であるたま電気自動車が開発した「たま号」でした。電気自動車普及台数は順調に伸びていき、1949年には3300台となりました。

しかし1950年、電気自動車の製造を止めざるをえない状況に追い込まれます。朝鮮戦争が原因で電池の主要材料である鉛の価格が高騰し、政府からの支援もなく採算がとれなくなったのです。こうして1950年代からは、ガソリン車の性能改良やガソリンスタンドの普及も相まって電気自動車は衰退していきました。1955年には道路運送車両法から電気自動車の項目が削除され、街頭から完全に姿を消したのです。

その後1960年代になると、ガソリン車の排ガスによって大気汚染が深刻化し、その解決策として電気自動車に再び注目が集まりました。1973年秋のオイルショックが起こった際も、石油価格高騰への対応として電気自動車が選択肢の一つとして検討されたほどです。しかし1980年代になると再び状況が変わります。石油価格の高止まりが落ち着き、ガソリン車の排出ガス浄化技術が進歩したところで、電気自動車はまたもや姿を消すことになります。

このように、電気自動車はその歴史の中で繁栄と衰退を繰り返してきたのですが、いずれの場合も本格普及には至らなかった最大の理由は、化石燃料を使わないことから政府より開発支援や普及支援が得られず、ガソリン車との性能差を埋めることができなかったためです。

そのような状況が変わり始めたのは、1990年代に入ってからでした。地球温暖化問題が深刻となり、「大気汚染」、「地球温暖化」、「化石燃料の枯渇」という3つの課題解決への糸口として、電気自動車が再び注目を集めることになります。米カリフォルニア州で排ガスを厳しく制限するZEV(ゼロエミッションビークル)法が制定され、各メーカーが揃って電気自動車を開発し始めるようになったのです。

日本では、既存の自動車業界が切望する燃料電池車の普及方針を2003年に当時の政府が掲げた時期の少し前の2001年、各社は揃ったように電気自動車の販売を終了しました。電気自動車はいったん姿を消したと思われましたが、2001年から電気軽トラックの開発を成功させ販売を続けていた岐阜の電気自動車ベンチャー企業が、(社)次世代自動車振興センターの購入者補助を得て毎年販売台数を積み重ね、大手不在の空白の9年間、軽自動車クラス以上で唯一販売実績を上げてきたことは、大阪万博以来続いてきた連続販売実績のたすきを2009年に三菱自動車の「i-MiEV」に繋ぎ、2010年には日産自動車の「リーフ」が発売されました。また、2013年には三菱自動車の「Nissan New Mobility Concept」、トヨタ自動車の「i-ROAD」など、近距離移動を主とするコミューター利用を想定した「EVの小型化」が発表されて以降、このように現在では、世界中のメーカーからの電気自動車の開発・発売に関わるニュースが毎日のように目に入るまでになりました。