プロレス新時代のエース、オカダ
金の雨を降らせるレインメーカーとは
「しっかり皆さんに金の雨が降る瞬間を見ていただけたのではないかと思います」と豪語するのは、6月22日のボディメーカーコロシアム(旧名・大阪府立体育会館)で真壁刀義を撃破してIWGPヘビー級王座V2に成功した“レインメーカー”オカダ・カズチカ。実際にボディメーカーコロシアムはプロレス全盛期を思わせる超満員札止めの7240人のファンが集まりました。「新日本プロレスに金の雨を降らせるレインメーカー」というキャラクターは97年に公開されたアメリカ映画『レインメーカー』の雨が降るように大金を稼ぐ弁護士にインスパイアされたもの。41年前にアントニオ猪木が旗揚げした新日本プロレスは、今や何回かの世代交代の末に25歳のオカダがエースに君臨しているのです。
オカダが新時代のエースに名乗りを上げたのは昨年2月のことでした。前年暮れに2年間のアメリカ修行から帰国、年明け1・4東京ドームで凱旋試合を行うと、2・12大阪で棚橋弘至のIWGPヘビー級王座に挑戦。最多防衛記録更新中の絶好調・棚橋をオリジナル必殺技レインメーカーで撃破して24歳3ヵ月の若さで頂点に立ってしまったのです。プロレス業界は「世紀の大番狂わせ!」と大騒ぎになりましたが、その後、オカダはこの快挙がフロックではないことを証明します。
IWGP王座は4ヵ月後の6月22日に棚橋に奪回されましたが、その勢いは止まることなく初出場した8月のG1クライマックスで史上最年少優勝を達成、今年に入って3月のニュージャパン・カップでも初出場&史上最年少優勝を飾り、4月7日の両国国技館で再び棚橋を破ってIWGP王者に返り咲きました。
突然のブレイクにはこれだけの理由が
周りは驚いてもオカダ本人にとっては当然の結果なので、試合の感想を聞かれても、目指すチャンピオン像を聞かれても、答えは「特にありません」の一言。一昔前の熱血スポ根のプロレスラーとはまったく違う、このクールさも今のファンにはウケるようです。こんなオカダを参謀格の外道は「いいか、レインメーカーはよ、新日本プロレス40年にして、初めての“本物”なんだよ。他のレスラーとはレベルが違うんだよ!」と言います。実際にオカダのこれまでのプロレス人生を検証すると、確かに“本物”であり、今の活躍がフロックではないことがわかります。
選手寿命が長いプロレスの世界では、オカダの25歳という若さばかりが注目されますが、デビューしたのは16歳の時の04年8月のデビュですから、もうすぐ9年。実は全日本プロレスの三冠王者・諏訪魔よりも2ヵ月先輩というキャリアなのです。そしてデビューしたのはウルティモ・ドラゴンがメキシコで主宰する闘龍門。メキシコのプロレス(ルチャ・リブレ)からスタートしたオカダは191センチの長身にもかかわらずジュニア・ヘビー級の選手に負けないスピードを持ち、空中殺法、そして日本のプロレスにはないジャーベと呼ばれるメキシコ流の関節技を習得しました。
また、選手をプロデュースすることでは天才的なウルティモは、オカダの長身を際立たせるために「素早いジャイアント馬場になれ!」とアドバイス。今の姿からは想像もつかないでしょうが、デビュー当初のオカダは12文キックやヤシの実割りなどの馬場殺法を得意にしていました。この経験は今になってスケールの大きなファイトをするのに役立ったはずです。
闘龍門でプロレスラーの基礎を作ったオカダは07年8月に新日本に移籍。合宿所に住んで、一からストロング・スタイルを学び、10年2月からアメリカのTNAへ。そして2年の修行を経て“レインメーカー”が誕生しました。16歳の若さから経験を積み、メキシコのルチャ・リブレ、新日本のストロング・スタイル、アメリカン・スタイル…あらゆる要素を取り込んだオカダがブレイクしたのは必然であり、時代の要請と言ってもいいかもしれません。
オカダの強みは、若いファンだけでなくマニアにも支持されていることです。レスラーが小型化している中で191センチのオカダが繰り出すドロップキックやダイビング・エルボーといったダイナミックな攻撃は、ヘビー級が主流だった昭和のプロレスにも通じる迫力があります。また、メキシコ流のジャーベなど、見た目は新しい技を使いつつも、試合の組み立ては必殺のレインメーカーの布石として相手の首にダメージを与えていく一点集中攻撃というベーシックなプロレス。新しいようでいて、普遍的なプロレスをするのがオカダの魅力と言っていいでしょう。世代に関係なくファンを魅了するオカダはまさしく“レインメーカー”なのです。