わずか37年で歴史に名を刻む ラファエロの生涯
日本ではラファエッロ、ラファエルロ、ラファエルと明治以来さまざまな呼ばれ方をされてきたラファエロは、『モナリザ』のレオナルド・ダ・ヴィンチや、『ダヴィデ像』、『最後の審判』のミケランジェロとともに、盛期ルネサンスの三大巨匠と呼ばれてきました。
1483年にウルビーノの宮廷画家の家に生まれたラファエロ、早くに両親を亡くしてしまうものの、父や彼の工房に務める職人から絵を学んでいたよう。ウルビーノに近いペルージャを主な拠点としながら、十代のうちからその才能を花開かせています。
そして、1504年から05年の間に、華の都と呼ばれ、当時ルネサンス美術の中心として花開いていたフィレンツェへ拠点を移動。ここで、21歳のラファエロは、当時すでに売れっ子だったダ・ヴィンチやミケランジェロらの作品を実際に目にし、《聖母子と子羊》などの絵を残しています。
※《聖母子と子羊》は「ラファエロ」展出品作ではありません。
そして、1508年にはヴァチカンへ進出! 当時の教皇、ユリウス2世と、その後継者レオ10世に高く評価され、ヴァチカン宮殿の教皇の私室の壁画などを手がけるようになりました。その頃に描かれた《エゼキエルの幻視》は、それまでのラファエロが持っていた柔らかい印象の絵に力強さが加わっています。
ラファエロ・サンツィオ(原寸大下絵)/ピーテル・ファン・アールスト工房(織り) 《聖ステパノの殉教》 1517-19 年 タペストリー 450x370 cm ヴァチカン美術館
© Musei Vaticani
そして、展示品には油彩画だけでなく、システィーナ礼拝堂を飾るために製作された、ラファエロが下絵を描き、ブリュッセルの工房が織った《聖ステパノの殉教》の、とにかく豪華かつ巨大なタペストリー。
ラファエロ・サンツィオ 《アテナイで布教する聖パウロ》 1515-1516 年頃 赤色天然石、尖筆 278x419 mm フィレンツェ、ウフィツィ美術館版画素描室
© Antonio Quattrone
加えて、別のタペストリーのための下絵、同時代の芸術家たちの作品なども展示し、多角的にラファエロを考えることができる展示になっています。特に、タペストリーはあまりにも大きいのでちょっと距離を取って、全体を眺めてみるのもおすすめです。
さらにうれしいのは、この展覧会にちなんだオリジナルグッズも充実していること。
自分用にも、お友達や家族用にもうれしいアイテムばかりです。
ちょっとヒント できるだけ快適に鑑賞するために
大人気のラファエロ展、土曜日、日曜日や祝日はかなりの混雑が予想されます。行列は避けられないところですが、・荷物は少なめ。可能であればコインロッカーも利用する
・予想以上に歩くので、履きなれた靴で行く
・平日金曜日の夜間開館(19時半までに入場すること)の時間に訪れる
・雨の日に訪れる
・先に前売りチケットを買っておいて、チケット購入のために並ぶ時間を節約する(前売り券を持っていても優先入場はできません)
など対策を講じておくと、若干ではありますが、人気の美術館も快適にすごせるかと思います。
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