大阪の春を彩る恒例行事「造幣局 桜の通り抜け」。毎年、1週間で約70万人の花見客が訪れるほどの人気を誇ります。夜桜も楽しめます。
明治16年(1883年)から続くこの桜の通り抜けでは、「大手毬(おおてまり)」「紅手毬(べにてまり)」など国内では極めて珍しい品種も見ることができます。
明治16年から130年続く「造幣局 桜の通り抜け」
明治4年(1871年)に貨幣鋳造所として開設された造幣局。構内には「造幣博物館」などがあります(通り抜け期間中は休館)
造幣局は明治4年(1871年)、日本初の近代設備を持つ貨幣鋳造所として開設。この周辺は、春は桜、夏は涼み船、秋は月といった四季ごとににぎわう景勝地として昔から知られていました。
特に、春の桜は有名で、造幣局の対岸が“桜ノ宮”と呼ばれるほど見事な桜が当時も一帯に咲き乱れていました。
そして、造幣局の桜は明治初め、近くの泉布観の北側にあった藤堂藩の蔵屋敷から移植されたもので、品種の多さに加え、ほかではなかなか見ることができない珍しい里桜が集められました。明治16年、当時の造幣局長だった遠藤謹助氏が「(造幣局の)局員だけの花見ではもったいない。大阪市民とともに楽しもうではないか」と発案。桜が満開となる数日間、川岸の約560メートルを一般開放し、一方通行による通り抜けが始まりました。
造幣局内にある「めがね橋」と八重桜の花々。桜の通り抜けでは、まるで桜のトンネルをくぐるかのような体験ができます。