「川越大師」の名で親しまれる、徳川家ゆかりの寺
「川越大師」の名で親しまれている徳川家ゆかりの寺です。天長7年(830年)、慈覚大師・円仁によって創建された無量寿寺が始まりといわれ、尊海僧正を経て慶長4年(1599年)に住持となった天海僧正の時代に喜多院と呼ばれるようになりました。喜多院に行ったらまず、手前の仙波東照宮にお参りしましょう。境内続きを歩くと、目的の喜多院の境内で、朱色の鐘楼門が眼に入ります。天海僧正を祀った慈眼堂に立寄ってから、本堂前に出ます。喜多院の中心的建物です。寛永15年(1638年)の川越大火後に再建され、その後たびたび修理されています。川越大火は、山門だけを残して喜多院のすべてを焼失してしまいましたが、3代将軍・徳川家光の命により江戸城の紅葉山の御殿がここに移築され、客殿、書院、庫裡などとしたほか、鐘楼門、仙波東照宮も再建されました。これらは現在重要文化財になっています。
拝観者の出入口になっている庫裡で、拝観料400円を払って、客殿、書院を見学しましょう。大庭に面した最初の建物が客殿で、ここに「家光誕生の間」があり、書院には家光の養育に当たった「春日局の化粧の間」などが残されています。書院に面する小規模な庭園は、小堀遠州流「曲水の庭」と呼ばれます。大庭を見ながら渡り廊下を行くと本堂で、堂内拝観もできます。
境内で、ぜひ見たいのが山門すぐ北側の五百羅漢です。天明2年(1782年)に志誠(しじょう)という人物が発願(ほつがん)して造立をはじめ、多くの助力者、遺志を継いだ喜多院の僧侶たちの手によって、50年をかけて完成したといわれています。全部で538体の石仏が鎮座しています。
■川越大師 喜多院
住所:埼玉県川越市小仙波町1-20-1
アクセス:西武新宿線・本川越駅から徒歩約15分
URL:http://www.kawagoe.com/kitain/
※データは記事公開時点のものです。