品性の種を育てる、ということ
日常習慣のなかでも確実に品性は育まれていきます
また、ペットのワンちゃんであっても家の中で誰が一番強いかを瞬時に判断し相手が自分より力量が下であると判断したら絶対に従わないともいいます。躾という過程の中には、実はこの「誰があなたより力量が上であるのか」を教えるチャンスが隠れています。
わたしたちは動物にはない「理性」を持っています。そして「品性」というものを社会生活を送る上で備えていることが望ましいとされています。この「品性」を生むための小さな種が「躾」。家庭で行われる躾というのは、いってみたらこの種まきのようなものなのです。その種まきを、アプリの鬼に頼むというのはどうなんでしょうか? たまの息抜きに奥の手として使うことまで咎めるつもりはありませんが、アプリがなければ躾ができない状況はこの種まき作業を鬼に任せきりにしていることになっているような気がします。
また、本当に問題が深刻化するのはお子さまが成長しアプリが通用しない年齢になってから起こります。この年齢というのは、言ってみたらそれまでの数年間家庭でまいてきた品性の種が発芽し、花を咲かせるために成長を始める時期。枝を剪定したり、養分を与えたりしてその品性をきちんと花咲かせる段階に入るのです。それまでの過程を鬼に頼りきりになっていたとしたら、一体どうやってその種を育て咲かせていいか、もはや判らなくなるのではないでしょうか? なんの花の種か判らないものを育てる方法は、恐らく誰にも判らないと思います。
躾は、ひとつのコミュニケーション
躾は大切なコミュニケーションのひとつだと知ってください
就園前にお友達を噛んではいけないと教えたり、暴力を奮って相手に対し自分の要求を通してはいけないことなどを教えることは立派な躾の一つです。それは同時に「人としてのコミュニケーションの取り方を教える」行為であり、その方法を教える親の教え方からも「人とのコミュニケーション」を学んでいるといえるのではないでしょうか?
そう、躾とは親子がより本当の親子に近づくためのとても重要なコミュニケーション。やがてそこに「親への評価」というものが盛り込まれてきて「うちの親は厳しかった」「親に怒られた記憶がない」などに直結していきます。躾を避けるということは、おおげさにいうとお子様と向き合うことを避けていること。親も、当然子ども時代を経験しています。ご自分が子どもの立場で考えたとき、躾をアプリに頼る親に育てられたら、いったいどんな気持ちになりますか? 「もし、いま自分が子どもの側だったとしたら」という発想は、ときに判断材料として大きな力を発揮するといえないでしょうか。
子育ては綺麗なことばかりではないです。ときにうんざりもするし、可愛いはずの我が子がどうしょうもない存在に思えてしまうこともよくあること。それでも、そこと真っ直ぐに向き合ったからこそ生まれる親子の絆があるのもまた事実。「躾だから」「外に行って周りからいろいろ言われてしまうのが嫌だから」と構えないで、親子で絆を作っていくためのコミュニケーションを楽しんでいると思い、肩の力を抜いてみてください。そして、ご家庭の常識に少し世間と違うところがあるとしても、ある程度のことであれば成長した子どもが自分の人生に不具合がないように矯正していく力を持っていると考えてください。
ガチガチに親子で窮屈な関係を作ってしまったり、反対に子どもに対し色々な思いを抱いて安易になにかに頼ってしまうよりも、絆を作りより本当の親子になるための経験を積んでいるくらいに考えて、躾から生まれるコミュニケーションを楽しんでみることをお薦めします。