第1章「東京とパリ、伝統とモダンの間で」
第7回パリ万国博覧会(1937)、30代半ばという若さで建築部門の大賞受賞の栄誉に輝いた坂倉準三。巨匠ル・コルビュジエのアトリエで6年間モダニズム建築を学んだ成果が受賞作「日本館」である。展覧会冒頭では、ル・コルビュジエに協力してデザインした小さな週末住宅「六分儀の家(レ・マトゥのヴィラ)を紹介している。
坂倉がル・コルビュジエのアトリエ修業時代の最後にチーフとしてまとめた住宅。ル・コルビュジエとしては珍しい木造の………(引用:「建築家坂倉準三」展覧会図録,35p) (写真をクリックすると全体画像が拡大されます。) |
第二次世界大戦が勃発した1939年の翌年、坂倉準三事務所を開設。日本にも戦争の影が忍び寄ってくるこの時期、坂倉にとって重要な仕事をしている。
「一つめの仕事」は、展覧会「選択・伝統・創造」展
東京・大阪の高島屋で開催された展示会・「選択・伝統・創造」展風景(食堂)(引用:「建築家坂倉準三」展覧会図録,46p) |
パリ時代の同僚であり生涯の友人:シャルロット・ペリアンと協同した展覧会だ。当時日本が外貨獲得の為に輸出品開発を推進した商工省(現在の経済産業省)の輸出工芸指導官として来日することになるシャルロット・ペリアン。坂倉がそのパイプ役になったのは言う迄も無い。1940年の夏から7ヶ月間、京都、仙台、東北各地の地場工場や職人と交流している。当時旅に随行したのが、フランス語を解した日本輸出工芸連合会嘱託の柳宗理。
山形県新庄市の積雪地方農村経済調査所(雪調)では、「蓑・蓑靴」の技術に、京都の民藝運動の指導者の一人:河井寛次郎工房を訪ね、当時河合が考案・製作した「竹」の素材に魅せられる。会場では、そこで製作された長椅子と竹のスツールを展示している。
東北「蓑・蓑靴」の技術を応用して製作した長椅子とクッション。長椅子のクッション部分には…… (写真をクリックすると右の長椅子が拡大されます。) |
家具の展示コーナーを右手に向かうと住宅模型がある。
「二つめの仕事」は、デビュー作:「Ih邸」(現・ドメイネ・ドゥ・ミクニ)
事務所開設の翌年1941年に完成した最初の住宅建築。東京世田谷の等々力渓谷に隣接した住宅地に立つ坂倉の住宅建築。大きな切妻屋根と白い外壁、ル・コルビュジエのアトリエで培われたモダニズムと日本民家の伝統が見事に融合した住宅だ。切れがよく簡素で「白」が際立つ外観……いかにもル・コルビュジエスタイルの影響を垣間みる事が出来る。それにしても、坂倉準三は「白」が似合う。家具の展示コーナーを右手に向かうと住宅模型がある。奥にある椅子たちも気になるが、手前の白い模型が、デビュー作:「Ih邸」。 (写真をクリックすると美しい住宅模型が拡大されます。) |
住宅の南面にあるひときは目立つ「大扉」。この「Ih邸」を大きく特徴づける「大扉」……この扉にはウ~ん、、唸ってしまう。幅3mの軸つり回転扉の実物(復刻)展示、かなりの存在感である。
テラスと大扉(引用:「建築家坂倉準三」展覧会図録,38p) |
本展覧会の目玉展示品でもある「大扉」。ここにも常に「学ぶ姿勢」と日本の伝統と機能を融合する坂倉準三の視点を垣間みることができる。 さて、 次編で実物展示の大扉とそれにまつわるデザインエピソード、そして「三つめの仕事」、坂倉が真摯に取組んだ一連の家具をご紹介します。 この続きは中編で。では、お楽しみに! …………………………………………………………………………………………… ■今回の関連リンク →汐留ミュージアム
→神奈川近代美術館鎌倉館
→【保存板】『クリエイターズ』展
→『坂倉準三』展 (中編)
→『坂倉準三』展 (後編)
■建築家「坂倉準三」/モダニズムを住むー住宅、家具、デザイン展
■会場:パナソニック電工 汐留ミュージアム
■会期:2009年7月4日~9月27日
※ 取材協力:パナソニック電工 汐留ミュージアム
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