強者達の戦いの跡「関ヶ原」
1600年10月21日に行われた天下分け目の戦いの舞台で、新幹線からも見ることができます。当時のものは残っていませんが、それぞれの武将が布陣したところに旗指物(軍旗)が立てられています。関ヶ原の戦いは歴史小説でもよく描かれていますが、実際に現地を歩いてみると、こんなところから島津の敵中突破(島津の退き口)が行われたのかなど、実感できます。
石田三成の陣は笹尾山にありましたが、眺望がよく関ヶ原全体が見渡せます。復元された大砲が置かれていますが、この山を攻めるのは難しかったでしょう。
関ヶ原の戦いというと用意周到な家康に、野戦に誘い込まれた三成が負け戦をしたようなイメージがあるのですが、三成は関ヶ原が決戦場になると高さ3メートルの土塁を延々と築き、中山道、北国街道を遮断していたようです。
野戦に誘い込まれたのは三成ではなく家康だったようで、薄氷の勝利ではなかったのかとも言われています。街道一の弓取りと言われた大大名、徳川家康に対し、小大名である石田三成が挑み互角に戦った関ヶ原合戦。家康は敵ながら、太閤に最後まで忠義を貫いて死んでいった三成を高く評価していたようです。
三成の兄や父は佐和山城の戦いで亡くなりましたが、三成の妻や子供、一族郎党は何のお咎めもなかったそうです。
関ヶ原周辺を散策するにはまず駅前の関ヶ原観光案内書でマップをもらいましょう。関ヶ原は壬申の乱の舞台となった不破の関があったところで不破関資料館もあります。
■関ヶ原
岐阜県不破郡関ケ原町
JR東海道本線 関ヶ原駅周辺
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