現在とは違う所にあった当初の建設計画
世界の名レーサーたちが絶賛する「鈴鹿サーキット・国際レーシングコース(約5.8km)。実は現在のレーシングコースは当初の予定地とは異なっていたのはご存知だろうか?
鈴鹿サーキットの当初のコース計画案
【写真提供:MOBILITYLAND】
レーシングコースの当初の計画地は現在のコースよりも北東の方角にあった。浄土池と呼ばれる調整池の周りを走る1周約4kmのコースが計画されていたが、その周りには水田が広がっていた。
本田宗一郎は「水田を潰してはいけない」と懸念を示し、荒れ果てた山林だった現在の場所に建設計画を変更させた。起伏に富んだ地形を活かす形で作られた国際レーシングコースの建設案は、ヨーロッパのサーキットなどを設計に関わった著名なオランダ人、ジョン・フーゲンホルツのアドバイスを受け、現在の国際レーシングコースに近い最終案に変化し、建設工事が着工した。
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ジョン・フーゲンホルツによる視察
【写真提供:MOBILITYLAND】
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コース計画案の変遷
【写真提供:MOBILITYLAND】
完成した鈴鹿サーキット・国際レーシングコースは水田地帯が広がる1コーナーの東側を避け、2コーナーで折り返し、山を登り、山の間をぬうように走り、スプーンカーブで折り返し、立体交差を経てホームストレートに戻ってくる、世界的に見ても特異な形状をしたサーキットになった。本田宗一郎の地元の農家の人たちを思いやる気持ちがなければ、世界屈指のコースと呼ばれるドライバーズサーキット「SUZUKA」は存在しなかったかもしれない。
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水田地帯を避けるように回り込む、完成直後の鈴鹿サーキット第1、2コーナー
【写真提供:MOBILITYLAND】
次のページでは開業当時の写真を紹介しつつ、当時のエピソードをお伝えしよう。