F1日本グランプリ開催中の鈴鹿サーキット
【写真提供:MOBILITYLAND】
1962年9月に日本初の本格サーキットとしてオープンし、「F1日本グランプリ」「鈴鹿8時間耐久ロードレース」などの国際レースを開催してきた「鈴鹿サーキット」の名前はモータースポーツの聖地として国内でもよく知られている。また、世界的にみてもF1などの名勝負から「SUZUKA」の名前は有名で、多くのトップレーサーたちが世界屈指のベストコースとして「SUZUKA」の名前を挙げている。
今回から2回に分けて、「鈴鹿サーキット」50年の歴史と伝統、そして一般的にはあまり知られていないトリビア的なトピックスをご紹介していきたい。まず第一回は「黎明期編」。開業当時の「鈴鹿サーキット」に迫り、そこから続く歴史について紹介しよう。
1962年、鈴鹿サーキット誕生
「鈴鹿サーキット」が誕生する以前から、日本には愛好者レベルでモータースポーツが存在した。終戦から10年後の1955年から群馬県の浅間山麓で「全日本オートバイ耐久ロードレース(通称:浅間火山レース)」が開催されるなど、日本のモータースポーツは終戦からの復興と共に芽生え始めていた。本田宗一郎
【MOBILITYLAND】
この時代にヨーロッパを視察し、本格的なモータースポーツとサーキットに触れた本田技研工業株式会社の本田宗一郎はバイク、自動車の性能向上のためには本格的なサーキットが日本にも必要であることを強く認識し、鈴鹿サーキットの建設を推し進めていく。
鈴鹿サーキット開業当時のグランドスタンド
【写真提供:MOBILITYLAND】
三重県・鈴鹿市にサーキットの建設が決まったのは、同社が工場建設のために同市に広大な土地を確保していたからである。そして、同社の社員たちがヨーロッパ視察で学んだ決して多くはないデータを基に建設計画が進められ、1962年、「鈴鹿サーキット」は日本初の本格的なサーキットとして産声をあげた。
次のページでは「鈴鹿サーキット」誕生に至るまでのトリビア、秘話などをご紹介しよう。