F1初期の帝王は南米の出身
F1の歴史が始まったのは1950年。その50年代に絶対王者の名を欲しいままにしていたドライバーは南米アルゼンチン出身のドライバーだった。ブエノスアイレス出身のファン・マニュエル・ファンジオ。1951年に初のワールドチャンピオンに輝き、54年~57年まで4年連続、合計5度のワールドチャンピオンを獲得したドライバーで、この記録はミハエル・シューマッハが更新するまでの46年間の長きに渡って、誰にも破られることはなかった。ファンジオ
【写真提供:Daimler】
ブラジル黄金期の礎を作ったドライバー
アルゼンチンのファンジオが作った功績から、南米ではF1が初期の段階から人気を得ていた。アルゼンチンに続いたのがブラジルだ。1950年代半ばからブラジル人ドライバーも散発的に出場していたが、ファンジオのようにチャンピオンが狙えるドライバーが登場するのは1970年になってからのこと。70年代に活躍したのはエマーソン・フィッティパルディ。裕福な家庭に生まれ、父親がモータースポーツジャーナリストであったことから、ヨーロッパでF1までの道筋を得る環境にあった。1972年に当時としては最年少の25歳でワールドチャンピオンに輝き、ロータス、マクラーレンのエースとして活躍し、2度のワールドチャンピオンに輝いた。
ロータス72を駆るフィッティパルディ 【LOTUS Racing】
昼も夜も大活躍? 熱いブラジル人王者
エマーソン・フィッティパルディは現役バリバリの最中、ブラジル人の後輩をバックアップしている。1980年代に3度のワールドチャンピオンに輝いたネルソン・ピケである。若き日のネルソン・ピケ 【写真提供:PIRELLI】
ピケはしなやかなドライブと裏腹に、プライベートではお盛んなドライバーとしても有名で、グランプリが開催される各国にガールフレンドが居ると噂されたこともあるほど。とにかくモテモテだったのだ。夜は情熱的だったのか、いや、女性に対しては「情熱的」かつ「しなやか」だったのかもしれない。
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