もうひとつのF1ドライバーの宝庫
2011年最終戦に出場した24人のF1ドライバー
【写真提供:PIRELLI】
世界ナンバーワンのレーシングドライバーを決めるF1世界選手権(Formula One)。世界でたった24人しか居ない最高峰のレーシングドライバーの国籍で最も多いのはイギリスを含むヨーロッパ諸国なのは皆さんもご存知だろうけど、2番目に多いのはどこかご存知だろうか? 答えは中南米のラテンアメリカ諸国だ。24人中5人が中南米の出身で、数の割合でいえば少ないが、今年に限らず第2勢力を形勢している。今回はそんなラテンアメリカ出身のF1ドライバーの魅力についてご紹介したい。
【中南米出身の現役F1ドライバー】
ルーベンス・バリチェロ(ブラジル出身、ウィリアムズ)
フェリペ・マッサ(ブラジル出身、フェラーリ)
ブルーノ・セナ(ブラジル出身、ロータスルノーGP)
パストール・マルドナド(ベネズエラ出身、ウィリアムズ)
セルジオ・ペレス(メキシコ出身、ザウバー)
※2011年最終戦ブラジルGPの出場選手
ファンを惹き付ける走りで魅せるドライバーたち
ラテンアメリカ諸国出身のドライバーたちはとにかく熱い。何が熱いかと問われれば、一言でいうと、ハートの部分だろう。ヨーロッパのドライバーたちよりも感情をむき出しにし、時にF1にうずまく政治的なトラブルやゴシップに巻き込まれながらも、彼らはその熱い走りでF1キャリアを積み重ねている印象が強い。
現役の中で代表的な存在といえるのが、F1史上最多の決勝出走回数322回を誇るルーベンス・バリチェロ。1993年にデビューを飾って以来、実に19シーズンもレギュラーで戦い続けてきたF1界の「鉄人」である。1994年のサンマリノGPでの大クラッシュにもめげずに(2日後に母国の先輩セナを失っている)、F1を戦い続けているバリチェロ。彼はまさにF1に無くてはならない味のあるドライバーの一人ではないだろうか。
鉄人の異名をもつルーベンス・バリチェロ
そんな彼にも世代交代の波は否応無しに押し寄せている。セバスチャン・ベッテルをはじめとする若年層のF1ドライバーが台頭する中、彼自身は「F1を2012年も走りたい」とメッセージを発信し、来年もスポンサーを捜してF1シート獲得に奔走している。ここ数年の成績は低迷気味で、昔とは違う暴れっぷりが目立つようになってきたが、そんな熱い走りがファンの心を掴んでいるのも事実。彼にとって来年は20年目のシーズン。是非ともその節目が現実のものとなって欲しい。
愛されるフェラーリ使い
バリチェロもそうだが、ラテンアメリカ出身のドライバーは国や文化を越えて多くの人に愛されるドライバーが多い。その一人がフェラーリのドライバー、フェリペ・マッサ。2002年に20歳の若さでデビューを飾り、2006年からは誰もが憧れるフェラーリのレギュラードライバーに就任。2009年のハンガリーGPでは他車のパーツがヘルメットを直撃し、引退の危機にさらされながらも復帰を果たし走り続けている。
フェリペ・マッサ 【写真提供:PIRELLI】
ドライバーとしての危機から復帰できたのには理由がある。マッサはデビューして間もない頃はフェラーリでテストドライバーの仕事もこなしていた。かつてミハエル・シューマッハが築き上げたフェラーリ帝国の陰にはマッサのテスト走行での走り込みで蓄積されたデータがあり、チームメイトであろうとも露骨なブロックや勝つための政治力発動も辞さない皇帝シューマッハが最も敬愛した仲間がフェリペ・マッサなのだ。
フェラーリでテスト走行するマッサ【写真提供:PIRELLI】
また、怪我からの復帰後、マッサは一度も優勝を飾れていないし、2011年に関して言えば、最高位は5位と低迷している。しかし、彼は2012年もフェラーリで戦うことが決まっている。低迷してもフェラーリのシートに居続けられるのは、マッサがチームから愛され、彼自身が真摯にチームとの仕事に取り組んでいるからだ。イタリア系の家庭に生まれており、イタリア語も堪能。真面目でストイックでありながらも、明るい気質がフェラーリの空気とマッチしているのだろう。もちろん、フェラーリの熱狂的なファン「ティフォシ」たちにも愛されている。怪我で療養中だった2009年のイタリアGPに来場した時、モンツァのティフォシたちから送られた割れんばかりの拍手はガイド自身も現地で見ており、マッサが敬愛されるフェラーリドライバーであることを実感させられるシーンだった。
ヨーロッパのレースともいえるF1。アウェーの環境で奮闘するラテンアメリカのドライバーたちはチームからもファンからも愛されるドライバーが多い。次のページでは過去に偉大な成績を残してきたラテンアメリカ出身のF1ドライバーの功績を取り上げます。