「自粛」のレベルを考える 

花見まで…。自粛のレベルを考えてみよう。

花見まで…。自粛のレベルを考えてみよう。

自粛ムードが漂っています。花見さえも自粛と言われていますが、自粛にもレベルがあると私は考えています。花見の場合、ハメをはずしながら無礼講的にドンチャン騒ぎをするのを控えるのはいいのかもしれませんが、満開の桜の下をゆっくり散歩するとか、普段なかなか会えない人と桜を見るのをきっかけにして会ってみるとか、そういうことまでストップさせてしまうのは、少しいきすぎの気もします。

だから、「自粛」と一言で片づけるのではなくて、「とにかくやろう」という気持ちのうえで「じゃ、どこまで?」というように程度を考えていけばいいと思うのです。そうしないと、自粛という呪縛をかけられた消費者は、再び「巣ごもり」をはじめてしまいます。というか、すでに「自粛巣ごもり」が始まっています。

「自粛巣ごもり」の正体 

今回の「自粛巣ごもり」はリーマンショック後の不景気によるモノとは性質が違います。不景気による巣ごもりは、とにかくお金がない、使いたくないから家から出なかったわけで、金銭的な理由が色濃く出ていました。金銭的な制限があったから、消費マインドも下がり、結果的に消費が落ち込み、企業は消費を促すために物価を下げていったのです。これによってデフレスパイラルという、恐ろしい事態になりました。

しかし、今回の自粛巣ごもりは、金銭的な制限というよりも、家から出たくても出るきっかけがないという、いってみれば宙ぶらりんな状況の中での巣ごもりのような気がしています。

もともと、節約疲れによって消費は少しずつ回復していたのだから、お金を使う意思や意欲はあったわけです。楽しいイベントがあれば参加するし、美味しいモノがあれば食べに行きます。しかし今回の「自粛」によってお金を使う場がなくなってきている。これが一番の問題です。