8割以上の人が病院で最期を迎えている現代
病院での臨終の場面。テレビドラマや映画で繰り返し演じられるパターンがあり、それが標準として認知されているようにも感じます。
このような場面は、テレビドラマや映画などで目にすることも多いと思います。たしかにこのような亡くなり方は、現在の日本では標準的な光景でしょう。
しかし、こういった光景は、昔から標準的なものではありません。1950年代までは8割以上の人が自宅で最期を迎えていたのです。
「8割以上が在宅死」~「8割以上が病院死」の時代へ
厚労省の統計を見ると、1950年代は8割以上が自宅で亡くなっていましたが、高度経済成長期を経て、1975年ごろには在宅死と病院死の比率が同じになりました。そして現在では、逆に8割以上が病院で亡くなっており、在宅でお亡くなりになるのは全体の12%程度だと報告されています。すなわち、現在のような「臨床の場面」が認知されてきたのはこの30年ぐらいの出来事だというわけです。しかし、今、国はこの在宅死、すなわち自宅で最期を迎える率を40%まで引き上げようという目標を立てています。増大する医療費を少しでも抑えることも一つの理由に挙げられますが、その他にも慢性疾患の比率が高くなってきた日本の疾病構造の変化や、脳卒中や心筋梗塞といった急性疾患に対する医療技術の進歩などが挙げられます。つまり、脳卒中や心筋梗塞で救命できずに亡くなってしまうケースが徐々に減る一方で、がんによる死亡は増えていくと予測されているのです。がんの場合、多くはゆっくりと症状が進行し、痛みもコントロールできることが多いため、十分に自宅でも看取ることが可能だと考えられています。
医療・介護を含めた在宅療養体制の充実
今、医療・介護の制度が整備され、在宅での看取りを行うインフラは整ってきたと言えます。
あわせて、医療保険に介護保険を組み合わせることによって、医学的な治療だけでなく、入浴や食事、排泄といった生活にかかる介護も受ける制度が整備されてきました。
医療従事者同士の連携だけでなく、医療・介護の専門職が連携をしていくことで、病院で看取るのと少し雰囲気は異なりますが、十分、安全に、そして何よりも自分らしく最期を迎えることは可能になってきているというのが現状だと思います。
在宅での看取りを理解する上で大事な2点
調子が悪くなると家に帰りたくなります。そこで適切な医療と介護が行われ、死を自然な現象と考え、自分らしい人生の仕舞い方をそれぞれが実践するという時代になりつつあると感じます。
■ 死は誰にでも訪れる自然な現象
人間は、この世に生まれたあと、成長し、大人になり、老いて、病を得て死んでいきます。つまり、死ぬことは生まれてくることと同じく、私たちにとっては自然なことです。
一方、病院は、異常な事象が体に起こったときに元の状態に戻したいと願って訪れる場所です。不慮の事故や不測の事態で命を落とすことは避けなくてはなりませんが、病を得たにせよ、それも含めて人間の自然なサイクルと考えることができれば、病院で亡くなることが主流という現状が、必ずしも守るべき流れではないと思えるのではないでしょうか。
■ 体調が優れないときには家に帰りたくなるもの
私たちは、風邪をひいて熱が出たり、お腹の調子が悪くなったりしたときには、職場や学校から引き上げて家に帰ります。家に帰って、いつもの寝間着に着替えて、いつもの布団に潜り込んで眠りたいと思うものです。
死を前にした時も、やはり、自分の家に帰ることを希望される人は少なくありません。住み慣れた自分の家で最後の時間を過ごしたいという気持ちは、ごく自然なことなのではないかと思います。これも在宅死を前向きに受け止めてサポートする上で、理解しておくべきことです。
この30年間、「臨終の場面」は病院という日常的ではない場所で繰り返されてきました。このため、私たちの社会では昔に比べて「死」の存在が希薄になり、その結果不必要なほどタブー視するようになってしまった側面があるようにも感じます。
しかし、死は自然なことであり、最期を迎える前に家に帰りたい気持ちも自然なものです。
家で最期を迎えるための社会インフラや法整備も進んできた現在、私たちも、自分の人生の仕舞い方や、家族の死をどうサポートするかを考えてみることが必要になってきていると思います。