こども園になったらどうなる?
現在、民主党が計画している「幼保一元化」のプランは、これまでの「認定こども園」とは一線を画すものです。名前が分かりにくすぎるので、「認定こども園」「こども園(新)」とでもしましょう。
「こども園(新)」計画のもっとも大きなポイントは、この「こども園(新)」ができると、“現在の幼稚園、保育園、認定こども園は全部なくなり、すべてが「こども園(新)」になる”というところです。
そして、「こども園(新)」は、現在の幼稚園や認可外保育園、認定こども園と同じように、「直接契約」の施設になります。つまり、子どもを預けたいと思う親はすべて、自分で直接「こども園(新)」に申し込まなければならなくなります。入園できるかどうかを決めるのは、「こども園(新)」自身です。
さらに、施設を管轄する役所も変わってきます。これまで文部科学省、厚生労働省と分かれていたものを、子どもに関することをやっている役所として「子ども家庭省(仮称、以下略)」のようなものを作ることになります。予算もすべてこの「子ども家庭省」に一括され、そこから市区町村に分配され、市区町村からその地域にある「こども園(新)」に降りていく形になります。お金の分配について、市区町村が権限を持つことになります。
働く人の資格についても同様です。現在は幼稚園の先生は「幼稚園教諭」、保育園の先生は「保育士」という国家資格が必要ですが、これをひとくくりにして「こども士(仮称)」のような資格にしよう、という動きが出ているのです。
要するに、現在は両親が働いていれば保育園、妻が専業主婦だったら幼稚園、というすみわけがある程度ありますが、それがまったくなくなり、誰でも一律に「こども園(新)」に申し込むということになります。つまり「幼稚園にしたい」「保育園にしたい」という育て方の自由が認められなくなる、ということにつながってきます。
制度変更のスピードが速すぎる
「こども園(新)」の計画には、さまざまな問題点があります。まず、この制度が主に経済界の主導で進められているものだという点。「日本の子どもをどう育てるか」という教育的、保育的な観点からの導入ではなく、女性の働き手を増やすことで労働力不足を補いたいという経済的な観点からの導入なのです。「こどものためにどうか」という視点が欠けているところが心配です。
また、経済的に貧困な状況にあったり、障碍を持つ子どもたちに対して、この新しい制度の下でちゃんと教育や保育の機会が確保されるのか、という心配もあります。直接契約になればそういった弱い子どもたちは、「競争」から振り落とされてしまう可能性が高いからです。
そして、最も問題なのは、この制度について広く国民に伝えることなく、ただ単に「幼保が一元化される、待機児童が解消される」といった簡単な言葉で一部分だけを伝えただけで、来年の国会で決めてしまおう、というスピードで進めているという点です。
確かに、少子化の時代、子育てのシステムに何らかの変化は必要なところに来ているのだと思います。でも、もっとじっくり話し合い、「子どものためにどうなのか」という観点を加えていく必要があるのではないでしょうか?
制度というのは、一度崩してしまうと二度と元には戻らないものです(後期高齢者医療制度、障害者自立支援法の例がある)。ただ枠組みだけを決めてスタートすることなく、きちんとした手順と話し合いをふんで、次の世代の子どものための「幼保一元化」を進めるべきなのです。