小泉今日子が嫉妬されるほど少女である理由
肝の据わった女性、実力のある女優でありながら、永遠のアイドルでもある、小泉今日子さんは数カ月前に行ったインタビューでこう語っていた。「自分の核の部分、心のいちばん奥にある、少女時代の記憶とか、少女性を、大切に可愛がってあげること。そこは誰にも見せないけど、自分だけは忘れずにいたいなって。
たとえば、お洋服のボタンを縫いつけている時や、庭の雑草を草むしりにしている時に、そういう気持ちを思い出すの。土を触りながら、自分のヒザとアリンコを見ていると3歳児に戻った気がして。この庭の雑草を全部取ったら、心の真ん中にいる少女もお手入れできている気がして嬉しいし、不思議と自信もつくんですよね」 (MAQUIA 2010年11月号)
自分のなかの「女子」を満たす
ロジカルに考え、行動する仕事モードを離れ、体を動かしてみる。損得を考えずに動いてみる
恋をすることも“女の子”に水をあげることになるだけど、潤っていない女の子(花)に、恋は吸い寄せられないのも現実。だから、恋をする前に、他の方法でも水をたっぷりあげておきたい。
“女の子”である効用は、恋を引き寄せる他にもある。小泉さんは、キャリアアップすれば、社会の中で年下をひっぱる立場になっていくし、時には、強い口調や戦闘態勢を持つ必要もある。そんな時に、「自分の中の“女の子”を知っていると助かる」と語っていた。恐くて強い人になり過ぎずに済むし、「たとえ、行き過ぎても、翌日、謝れるから(笑)」と。たしかに、その通りだ。
「女子」はあくまでも自分のなかに留めおく。表向きは「女」であること
とはいえ、自分の中の少女心をわざわざ、他人にアピールしないし、する必要はない。それはいやらしいし、出し方を間違えれば、周囲を困らせる。25過ぎても、10代のように可愛くて無邪気な女の子ぶりを前面に出してアピールされても、それはそれでオバさんっぽいし、大人の女性としての魅力(知性や包容力など)すらも消えてしまうので要注意。 “女の子”である意識はあくまで自分の中で大切に育つもの。意識が変われば、それは自然とにじみ出る。すると、引き寄せる恋も、相手も変わっていく。冒頭の30代半ば知人美女のお悩みについて、心の中の“女の子”を開放して考えてみる。もしも、素直で幸せな女の子だったら――自分から、四の五の言わずに素直に彼に電話しちゃう。「来週、また、遊んで」と電話して、それで色よい返事がなければ、「あっそ」と向こうを向いて、別な人や興味の対象を探していい。女の子とは、それくらい、軽やかで身勝手で楽しそうな生き物なのだ。