なにげに幼少から刷り込まれてきた親心が災いか |
損得で結婚を考えることは、遥か太古の昔から至極当然のこととして扱われてきました。その分、家と家の結びつきや子の幸せを願う親達から、とっくに刷り込まれてきた感覚なのかも知れません。確かに、スゲーよあのコんちチョーでかい、とか興奮気味に話す12歳のタクマ君に、そいつんちのコになっちゃう?なんて平成の現代でもつい聞いてしまいます。とはいえ、なにかの記事で外資でバリバリ稼いでる女性が、結婚とか得することが何もない気がする、とのコメントを読んだときに何やら違和感を感じたのも事実。
そこで今回はあえて、損得で考えない結婚もいいんじゃない?ってことで、そのゴリヤクを探してみます。もちろんテキトー無責任モードですので、軽い読み物としてお取り扱いください。やっぱり損したってコンプレ云われても離婚しかおすすめできませんから、あらかじめご了承ください。なんて書いてると結婚もそんなもんって気もしてきたりして。
結婚の損得てなに?
こんなハジケルことが出来なくなるのも逸失利益? |
例えば、逸失利益的に考えてみましょう。もし、今の旦那と一緒になっていなかったら、家でゴハン作って待ってる時間に、今頃友達と飲みに行ったり映画見たり合コンでチヤホヤされたり新作のニット買ったりスパ行ったりプーケット行ったりしてたのに、って発想になります。また、もっと稼ぎがよくて家に帰ってこなくてアタシのこと放し飼いでなんにもうるさいこと云わないで家のことも全部業者に頼める旦那、と一緒になってたら、今頃あんなこともこんなこともイロイロ出来てたのにって。これも逸失利益かもしれません。
確かにこんなことばっか考えてると、結婚なんて出来やしないっていうか、他の人と共同生活そのもののが無理ですよね。つまりそんな想定上の損が先行して、今のカレは果たして、ドンぐらいアタシのこれから得られるであろう利益を失うのか?っていう発想がココロを支配する訳です。夏の終わりに、婚活性脱力症候群になる最も顕著な理由の一つとも云えるでしょう。
それに対して得は、こうなります。アタシが素敵なカレと結婚することで得られるであろう利益。週に一度は外食で、年二回の海外旅行とバーキンとピコタンセット。自分専用の気の利いたクルマがあって、昼は友達とカフェでお茶してワイン飲んだりフレンチ食べたり、ってどっからみてもセレブリティな状態。これを結婚前の段階では、得べかりし利益と考えられます。さらにその得べかりし利益は、すでにご本人のポテンシャルとして織り込み済みですから、それが発生しない結婚はあり得ない、となるわけです。
結婚の損得もこうして考えると、結婚そのものが自身の逸失利益と得べかりし利益を対価とした行為に他なりません。こりゃまあ、大変なワケですよね。