チェコ/プラハ

プラハの観光(3ページ目)

プラハは中世の時代から、東西を結ぶ交通の要衝として栄えてきました。こうしたなかで、プラハは独自の文化をはぐくみ、中欧の文化の中心地として発展を遂げてきました。そして、それはこの街に多彩な顔をもたせることになりました。音楽の街、美術の街、建築の街、そしてビールの街。プラハの多彩な顔を切り取るようにして楽しむのが、この街の旅の仕方だと思います。

執筆者:増田 幸弘

建築の街、プラハ

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プラハに残るもっとも古い建築のひとつ、聖マルティンのロトゥンダ
 

中世の面影をいまに伝える古都・プラハには、中世の建築から現代の建築までが渾然一体としていて、さながら建築の博物館のよう。プラハのなかでももっとも古いといわれている建築のひとつが、ヴィシェフラッド城にある聖マルティンのロトゥンダで、ロマネスク様式です。

かつて、カトリックとプロテスタントがぶつかる宗教戦争の嵐が吹き荒れていたという歴史をもつプラハ。15世紀から17世紀にかけてプラハはたびたび戦いの舞台となり、戦いはプロテスタントだったチェコ貴族の全滅で終わりました。こうしてカトリックの手でプラハにもたらされたのが豪華絢爛なバロック建築です。

プラハのバロック化の勢いはすさまじいものがあり、カレル橋の欄干にバロック様式の彫像が据え付けられたのは、まさにその一貫。ロマネスク様式やゴシック様式の教会もバロック化されたところが多く、プラハ城内の聖ヴィート大聖堂や聖イジ―教会でもその痕跡が認められます。

プラハが19世紀後半から20世紀初頭にかけて大きく発展し、変貌を遂げていくなかで、このとき街にもたらされたのがアール・ヌーヴォー様式です。ヴァーツラフ広場にはホテル・エヴロッパなどのホテルや商業建築が建てられ、貧民窟となっていたユダヤ人街が取り壊され、瀟洒なアパートが次々に建てられました。ヴルタヴァ川沿いにもアール・ヌーヴォー様式の建物が建ち並ぶ地区があります。

共産主義の時代に建てられた建物には、一種独特の美学が感じられます。現在は国民博物館の別館となっている旧チェコ国会の建物はその代表的な建築のひとつです。プラハ郊外にはパネラークと呼ばれる団地が建てられました。革命後にはヴルタヴァ川沿いにたたずむようにしてたつダンシング・ビルなどがプラハの街に現れ、物議を醸しました。
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