株・株式投資

あなたは女社長になれるのか? その1

「女社長」。なんともかっこいい言葉だ。しかし、そう簡単になるものではなさそうな感じがしてならない。実際女社長の数は、男性のそれに比べると圧倒的に少ない。かといって、このまま女性が黙っている時代でもないだろう、ということで、今回はリアルな女社長に話を聞いた。

川崎 さちえ

執筆者:川崎 さちえ

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すべての女性経営者、そしてこれからの女性経営者たちへ

21世紀はいよいよ女性の時代になる。そんな話をよく耳にするようになった。もちろん20世紀においても、活躍していた女性はたくさんいるのは間違いないが、これからはもっと女性が力を発揮できるようになるという。なんとも嬉しいことではないか。

しかしながら、実際のところ女性経営者がどの程度いるのか?と考えると、まだまだ少なく、おそらく男性とは比較にならないように思うのもまた事実だ。上場企業の中で女社長の割合は1%~2%との話も過去に聞いたことがある。これに対して「なぜなのか?」と問い、答えもある程度見えているが、現実問題として女性経営者にとって難しい社会が目の前にあるのは間違いない。

余談ではあるが、同じような問いをある社長にしたことがある。彼はこう答えた。

今の企業社会を作ってきたのが、男だからですよ。

納得だ。

菅原さんの新刊「女性経営者が儲かる理由」

菅原さんの新刊「女性経営者が儲かる理由」

そんな、リアルな現実を目の前にしている中で、それでも女性経営者としての人生を歩んでいる人がいる。株式会社ナチュラックの菅原智美社長だ。

「リーダー」「姉さん」というイメージが強い菅原さんは、「女性経営者 エメラルド倶楽部」を主宰し、女性経営者のサポートも行っている。最近では「女性経営者が儲かる理由」を出版された。活動的&活発的で、なんともかっこいい菅原さんに「女性経営者」という漠然としたテーマで話を聞く。

3歳で芽生えた起業魂

ガイド:起業しようという気持ちは、いつ頃からあったんですか?

菅原さん:3歳のころですね。両親とも事業が好きで、父親が大工、母も喫茶店やお弁当屋さんを経営していました。大工の棟梁だった父には、30人くらいの弟子がいて、給料日に給料袋を渡して、残った分を母親に今月の分として渡す姿を見ていたんです。それで、「あ、自分もあげる側になりたいな」と。幼稚園のころは働いている大工さんがすごくかっこよく見えて、あの兄さんのお嫁さんになりたい、でも給料を渡すのは私、みたいなことを想像している自分を憶えてますね。

悔しさをバネに

ガイド:一番最初の転機はいつですか?

菅原さん:高校1年のときに、それまで住んでいた新潟から熊本に引っ越すことになったんです。でも、私は新潟に残りたかった。友達もいましたしね。一人で生活することも考えましたが、学費、生活費を考えると、いくらバイトをしても無理でした。このとき、自分の力のなさを実感してショックを受けましたね。そして、力をつけたい、仕事したいと思いました。周りに左右されずに生きていけるくらいの力、財力がほしいと。

ガイド:そんな気持ちで過ごした高校生活はどうでした?

菅原さん:高校に入ってからすぐに東京に行くことを決意したんです。熊本からすれば、東京は大都会。華やかな夢の街ですよ。高校を卒業するときには大学進学のことは全く考えず、すぐに就職しました。全日空エンタープライズです。

なぜここを選んだのかというと、女性が活躍できる職場だと思ったからです。最初は全日空ホテルに配属されました。ホテルに入ったときはバブルの絶頂期で、しかもお客様はお金持ちばかりなので1回の食事に使う金額が10万円レベル。当時の私の給料が、手取りで約10万円だったので、私がこれだけ働いて稼いだ給料と同じ額を1回の食事に使う人がいるんだなと。

それで、5年後、10年後の自分をイメージしてみて、やっぱり違うなって思ったんです。ホテルで働いている姿はイメージできませんでした。
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