誰でも知っている「秘密」の答え
糖尿病のある人生を少なくとも50年以上送っているスーパー病人たちの生活を分析して、その秘密に迫ろうとしている研究者達がいます。ハーバード大学医科大学院教授で、ジョスリン糖尿病センター(ボストン)のリサーチ・ディレクターでもあるDr. George L. Kingらがそうです。研究の対象となる糖尿病50周年の金祝組がなんと400人以上もいるのだそうですから驚きですね。
クリーブランド兄弟らの長寿糖尿病者に共通しているのはやはり遺伝的優位性で、その上に一つの傾向がみられるようです。
それは次の4ヵ条です。
長寿の秘密はずしりと重い答えでした。
誰でも知っているのに、守れないものばかりですから。
でも、1型糖尿病者は守りきらなくてはなりません。私は常々、1型糖尿病者は生きているだけでヒーローであり、ヒロインだと言っています。心からそう思っています。
だからこそ、イーライ・リリー社が記念としているインスリン25周年、50周年のジュビリー(jubilee)が意味を持ちますね。
81年の糖尿病のある人生とは
クリーブランド兄弟は1型糖尿病のヤングの集いに積極的に出かけます。「糖尿病のある人生を語るために、いい人生を送る道を示すために」です。決して平坦な道ではありませんでした。
1921年のインスリンの発見以前は糖尿病(当時は1型、2型の区別がなかった)の診断は死の宣告だったのです。
クリーブランド兄弟の人生はぎりぎりのところで医学の進歩が追いついた、文字どおりのサスペンスドラマです。
ウシやブタからインスリンを取り出すことに成功しましたが、まだまだ不純物がたくさん含まれていて、滅菌の不十分な注射器の炎症にも苦しみました。
今のような痛みのない、極細の使い捨て注射器なんかあるわけもなく、クリーブランド兄弟は母親が注射器を砥石(といし)で研いでいる姿を覚えています。
それでも時には「編み針」を刺されたように痛かったとロバートは言います。
そんな注射針で単位の低いインスリン液を大量に注射するのですから、さぞ辛い毎日だったことでしょう。
血糖値を試験紙で調べることが出来るようになったのは1964年ですから、わずか(?)40年前のことです。それまでは台所のストーブで尿を温めて試薬を加えるという、不正確かつ異臭のただよう暗黒時代の生き残りです。
兄弟はそれぞれ死と向き合うような危険な低血糖のエピソードには事欠きません。
ジェラルドは20歳の時に感染症が治らなくて、あわやという状態になりましたが、その時も奇跡の薬「ペニシリン」が間に合って事無きを得ました。運の強い人です。
2人は今でも血糖測定をきちんと行ってログブックに記録します。
エクササイズもロバートはスポーツ自転車の愛好家ですし、ジェラルドはさすがにテニスはもう止めましたが、高齢者のエクササイズクラスには定期的に出席しています。
このスーパー兄弟も以前から神経障害を病み、2人とも足の指先をかなり失っています。ジェラルドは手首の腱が肥厚してしまう症状で何度も手術を受けています。
ことし90歳になったジェラルドは「とても50歳まで生きられるとは思えなかった」としみじみ述懐しています。
「決して楽なことではなかった。でも、素晴らしい人生が送れましたよ」……
ジェラルドとロバートのお二人、インスリン75周年の祝典、おめでとうございます。