2ページ目 【2つのタイプがある違憲審査制度】
3ページ目 【日本は「司法消極主義」?】
「アメリカ型」と「大陸型」
2つの違憲審査制度。 |
たとえばある法律が原因で不利益をこうむっている人がいるとします。この人が裁判所に訴えます。この際、「この法律は憲法違反で無効だから不利益が生じている」と主張し、この主張を審査しなければ判決が下せない場合、はじめて違憲審査をする、というものです。
逆に言うと、何も具体的な不利益をこうむっていない人、権利侵害などを受けていない人が、裁判所に法令の憲法審査をしてもらうためだけに訴えることはできません。
このような違憲審査制度を「アメリカ型」または難しい言葉で「付随的審査制」と言ったりします。
一方、ドイツやフランスなどでは、通常の裁判所から独立した裁判所があり、この裁判所が違憲審査を行うことになっています。これを「大陸型」または難しい言葉で「抽象的審査制」と呼んでいます。
日本は「付随的審査制」といわれています。憲法などには規定されていませんが、1952年、日本社会党が警察予備隊の違憲無効を最高裁判所に訴えた「警察予備隊訴訟」で、最高裁判所がこれをしりぞけたことから、具体的事件を前提にしない違憲審査は行わないということが確立しました。
「違憲審査回避の原理」とは?
法令が違憲とされた最高裁判決。行為が違憲とされたものとしては、県の公金による神社への玉串奉納などがある。 |
その1つが、先ほどから言っているように、何かしらの事件解決のためにしか違憲審査をしないということです。もちろんこれはアメリカで確立されたルールで、アメリカの影響を受けて制定された日本国憲法のもとでもこれが大きなルールとされているわけです。
恵庭事件という有名な事件があります。自衛隊基地の近くで牧場を経営していた被告が、騒音にたえかね、怒って自衛隊の通信線を切断、自衛隊法違反で逮捕されたという事件でした。ここでは当然のように自衛隊の違憲性が問われました。
ところが札幌地裁は、被告が切断した通信線は自衛隊法のいうこわしてはいけないものに含まれないので無罪、という憲法判断について全く判断しない判決を下しました(1967年)。
このように日本の裁判所はなるべくなら違憲審査をしない、という方向で裁判をするといわれています。このことを「司法消極主義」といって、しばしば批判の対象となることがあります。
実際、日本国憲法ができて違憲審査制度ができてから、最高裁判所が出した法令を違憲とした判決は、わずかに8件しかありません(2008年7月末現在)。
最後のページでも、この日本の「違憲審査回避の原理」について、見ていこうと思います。
1ページ目 【違憲審査制度の意味とは?】2ページ目 【2つのタイプがある違憲審査制度】
3ページ目 【日本は「司法消極主義」?】
「統治行為論」とは?
日本の司法がとる憲法判断を行わない条件とは。 |
つまり、日米安保条約が日本国憲法(第9条)に違反するかどうかは、裁判所のタッチするべきことではないという理論です。この理論を、「統治行為論」といいます。
現在の教科書などでは、統治行為論について「高度に政治的な行為については憲法判断の対象にならない」などと記述されています。具体的に最高裁が「高度に政治的な行為」として憲法審査をしなかったのは、この日米安保条約と衆議院の解散の2例です。
これについては、日本の「司法消極主義」の極致と批判する声もある一方、政治と司法の極端な対立を避けるためには必要であるという声もあり、論争が現在も繰り広げられています。
ちなみに自衛隊については最高裁判所で統治行為論をもとに憲法判断回避された例はありません。長沼訴訟(自衛隊ミサイル基地建設について住民が提訴した裁判)は最高裁判所が判決を下していますが、それは代替施設整備などにより計画が変わり、原告である住民の裁判上の利益がなくなったという理由で訴えを却下したものでした。
変わりつつある司法消極主義?
とはいえ、ここ数年、最高裁判所の違憲判決は増加傾向にあります。1990年代までわずか5例しかなかった法令そのものに対する違憲判決は、2000年以降、すでに3例出されています。特に21世紀に入り最高裁判所は3件の違憲判決を出しました。2005年の判決では在外日本人の国政選挙制限を違憲とし、これを受けて公職選挙法は改正されました。
また2008年6月には、生後日本人の父から認知された婚外子に国籍を与えない国籍法の規定を「かつては合憲だったが、時代の流れとともに現在は違憲となっている」という踏み込んだ判決理由で違憲と判断しています。
これからこのあたりがどうなるのか、注目されるところです。
違憲判決の効力は?
違憲判決が出ても、法律などが自動的に削除・廃止されるわけではない。 |
法令そのものが無効とされた場合は当然、その法令は適用できず「死文化」しますが、法令そのものはそのままでは残ります。法律の制定権は国会、政令の制定権は内閣、条例の制定権は地方公共団体にあると憲法で定められているので、最高裁判所が勝手に違憲法令を削除することまではできません。
最高裁判所が1973年にはじめて違憲判決を下した「尊属殺事件」では、無効とされた旧刑法200条は、1995年の新刑法制定とともにようやく削除されるまで20年以上も死文化された規定が残されたままでした。