キューバが反米国家になったわけ
キューバ地図。 |
とはいえ、キューバは事実上アメリカの保護国のような状態となり、1950年代にはバティスタという親米独裁者の政権ができ、独裁とアメリカ資本の支配に対し、人々の不満は高まっていました。
これに対し反旗を翻したのがカストロ率いる革命軍でした。1959年、革命軍にバティスタ政権は打倒され、カストロを首相とする新政権が誕生しました。その後、カストロは反米主義と同時に共産主義をかかげ、ついこのあいだまでキューバのリーダーであり続けたわけです。
キューバのあれこれ
1961年、ときのケネディ大統領はキューバに対し軍事作戦を密かに計画、実行します。これがピッグス湾事件というものですが、大失敗に終わってしまいます。これ以降、キューバとアメリカとの関係はさらに悪化しました。その翌年、キューバと親しくなったソ連がアメリカを標準としたミサイル基地を作ろうとして一触即発の危機(キューバ危機)となり、ケネディ政権は海上封鎖を行いソ連の計画を断念させましたが、この自信がベトナム戦争に駆り立てていったともいわれています。
そんなキューバには今でもアメリカの基地があります。グアンタナモ基地のことで、アル・カーイダの容疑者らが拘束されたことでも知られています。
キューバがアメリカの保護国状態だったころ、グアンタナモ湾をアメリカに提供することが取り決められていたのです。そのため、アメリカが最も嫌う国・キューバのなかに、アメリカにとって最も重要な軍事拠点が存在しているのです。