5月にはネパール王制消滅?
ネパールの位置。 |
2001年、謎の「国王一家殺害事件(当時の皇太子が犯人とされているが、皇太子は自殺)」によって即位したギャネンドラ国王は、2005年に議院内閣制を廃止して自ら実権を握っていましたが、政党勢力や国民からは猛烈な批判を浴びていました。
そして2006年4月の民衆デモによって、国王の直接統治は崩壊。その後、ネパールでゲリラ活動をしていたマオイスト(毛派:毛沢東主義者)らと新政権が和平を実現、2007年12月、暫定憲法が制定され、ネパールを正式憲法によって「連邦民主共和制国家」にすることが規定されたのです。
この合意にそって正式憲法を制定するための憲法制定議会の選挙の実施が4月10日に決定。このままいくと5月にはネパール王制は消滅してしまうわけです。
ネパールは貧困から脱するか
王制消滅は、ネパールが変化するその一里塚にすぎません。長年ゲリラ活動をしてきたマオイストたちが政治の表舞台に参加、既存の政治勢力と平和に政治を行ってネパールの発展に寄与できるかどうかも大きな注目点です。ネパールの一人当たりGDP(国内総生産)はわずか3万円ほどにすぎません。中国・インドと近隣諸国が経済成長するなか、新国家はネパール経済を成長の軌道に乗せることができるでしょうか。
■関連サイト ネパール政治の基礎知識2006