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明治天皇制はなぜ崩壊したのか(2ページ目)

伊藤博文が渾身あげて築き、磐石に見えた明治天皇制は、やがて破局を迎えます。どこに問題があったのでしょう。明治憲法制定に大きく関わったひとりの人物に注目します。

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【天皇を「道具扱い」していた新政府幹部、反発する井上毅】
2ページ目 【明治天皇制に影響を与えた井上毅の天皇に対する考え】
3ページ目 【天皇を支えるスーパーパワーを必要とした明治天皇制の弱点】

【明治天皇制に影響を与えた井上毅の天皇に対する考え】

伊藤博文、ドイツモデルの採用に傾く

さて伊藤博文は政変の後、憲法調査のためドイツにやってきます。大隈を追放したものの、ゆるやかなイギリスモデルの導入を考えていた伊藤ですが、ここでドイツモデルの導入へと考えが変わっていきます。

特にシュタインという学者との出会いがそれを決定付けました。シュタインは行政の独立性が重要であることを説き、それに伊藤は深く共鳴します。

当初は政党政治による藩閥(というよりは薩摩閥)政治の打破を考えていた伊藤ですが、ここにきて、行政官僚の中立性を保つことにより、藩閥政治を変えていく方向に転換したのでした。

こうして伊藤も井上毅が説くプロイセンモデルを受け入れ、帰国しました。

井上毅、憲法草案を2つ提出

さて、伊藤は帰国した後、内閣制度を導入、みずから初代内閣総理大臣になって、憲法制定などにあたることにしました。

このころ、井上と、ドイツ人内閣顧問ロエスラーは、それぞれ憲法草案を提出しています。井上は、甲案・乙案の2案を提出しました。

井上の甲乙両案は、いずれもこの条文から始まっていました。

「第1条 日本帝国ハ万世一系ノ天皇の治(しら)ス所ナリ」

さて、井上が草案に記載した「しらす」とは、どういう意味なのでしょう。

井上毅の考えた「天皇の存在」とは

井上と天皇
天皇と日本は分離された支配・非支配の関係ではない、日本は天皇を中心として成り立つ国なのだ、と井上は考え、「しらす」という表現を使った
憲法制定にあたってさらに国学研究を進めた井上は、日本の体制に「治める」とか「統治する」というのはふさわしくない、と考えていました。

治めるとか統治する、などという言葉は1人の権力者が日本を私有することを表している、と井上は考えます。しかし、日本は天皇が私有する国家ではない。もうちょっとわかりやすくいうと、天皇が支配者、日本が非支配者という関係ではない、ということです。

国学では、日本を神ながらの国と考えます。天皇はその神の子孫であり、天皇がいて始めて日本は成り立つ。天皇が国を「治めている」わけではない、と考えたのです。

では天皇は日本をどうしているのか。井上は「うしはぐ」と「しらす」という古語に注目し、後者つまり「しらす」を、神の子孫である天皇が日本に「君臨」している状態を指し、最も適当だと考えることになります。

そうしたため、彼は「しらす」という表現を使ったのですが、なんとも前近代的な言葉に、伊藤やロエスエルらは当惑することになります。

大日本帝国憲法の制定と明治天皇

さて、伊藤は井上、伊東巳代治(みよじ)、金子堅太郎らと伊東夏島の地で憲法草案づくりに着手、いわゆる「夏島草案」が完成。

ここで結局「しらす」は「統治」に置き換えられることになります。井上の考えた「しらす」は、あまりに抽象的すぎたのか、それとも文体として合わないと考えられたのか、諸説ありますが、結局しりぞけられたのでした。

この草案をもとに、さらに修正が加えられ、そして天皇の諮問機関・枢密院で審議に。過去には政治に無関心でこもりがちだった明治天皇は、このときにはすべての審議に臨席。時おり意見することもあったようです。

……「もう道具にはならない、自分は帝国君主なのだ」明治天皇の中で、そういう自覚が生まれていたのでしょうか。そしてその様子は、井上や、宮中の保守派たちを安心させたことでしょう。

ともかくもこれにて明治憲法(大日本帝国憲法)が完成、公布され、翌年には帝国議会が開会されることとなったのでした。

教育勅語と「皇国化教育」の推進

教育勅語
教育勅語の起草にもたずさわった井上毅。彼らの手によって、天皇は「道具」から国民精神の中心的存在、まさに「現人神」として君臨することとなった
さて、井上はさらに教育勅語の起草にもたずさわることになります。

もともと、宮中保守派の元田永孚(もとだながざね)が日本古来の道徳教育を守るために作成を提案、これに天皇の命令で井上が加わり、天皇の「おことば」として、各学校に送られました。

国民の道徳、精神の部分にまで、法律ではないとはいえ、国家がいろいろと指図することは、今ではいかがなものか……教育基本法問題として論争になっているところですが、教育勅語ではこんな言葉もみることができます。

「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」

なにか緊急危険なことがあれば、正しい心と勇気をふるって国に奉仕し、天地永遠に続く皇室の運命を助けよ。そのような意味です。

この教育勅語はやがて神聖化され、太平洋戦争では実際に「正しい心と勇気」をもって「皇室の運命」を助けようと、戦場で散る人々がたくさん生まれることになるのです。

次ページでは、こうしてできた明治天皇制の「欠陥」について、見ていきます。
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