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悩める大国・フランス政治と国民

若者の雇用をめぐって政府と学生・労働組合が深刻な対立を続け、大規模デモも頻発しているフランス。昨年も移民系国民の暴動が全土を覆いました。「悩める大国」フランス政治の基礎知識です。

執筆者:辻 雅之

(2006.03.27)

フランスで若者の雇用政策をめぐって学生・労働組合と政府との対立が深まり、各地で大規模なデモ、さらには暴動も起こっています。フランス革命から始まり、10月革命、2月革命、パリ-コミューン。戦後になっても5月革命、昨年の移民系青年暴動、そして今回。フランス政治と民衆とのかかわりを考えます。

1ページ目 【フランス政治の特徴はどこからきているのか】
2ページ目 【左右対立だけでは語られない、フランスの政治勢力】
3ページ目 【「中道共和国」になったフランスの抱える新たな悩み】

【フランス政治の特徴はどこからきているのか】

次期大統領選に直結しそうなCPE問題

フランス
CPE騒動によって大統領候補の一角ド・ビルパン首相はライバル・サルコジ内相に大きく水を開けられたか?
ド・ビルパン首相といえば、外相であったイラク戦争の際、国連安保理で真っ向から開戦を急ぐアメリカに反対した「平和主義者」として、国際的な喝采を浴びた人でした。

ところが、首相となった彼が打ち出した26歳以下の青年の就業2年以内の解雇を自由に許容する最初雇用契約法(CPE)により、彼は青年たちの大規模な抗議行動にさらされています。

フランスの失業率は高く、一時10%を割り込んだものの、現在また上昇し10%台に戻っています。それを解消するため、企業が青年を雇用しやすいようにする政策がCPEだったのですが、完全に裏目に出ています。

次期大統領候補の呼び声高かったド・ビルパン。しかしこれで、与党内のライバルであるサルコジ内相に大きく水を開けられることになるでしょう。

「個人の自由」を尊重するとはいえ、なぜに多いフランスの「民衆蜂起」

2006年3月末現在の情勢解説はこんなところにして、さてそもそも、フランス政治はなぜにこのような「民衆蜂起」型の運動が多いのか。

たしかに、「個人の自由」を尊重する国ではありますが。

19世紀ならいざしらず、戦後になっても、ド・ゴール政権崩壊のきっかけを作ったいわゆる「5月革命」、昨年の移民系青年暴動、そして今回。

世界の大国フランスの政治、歴史について、「フランス革命の国」「ナポレオン」「ド・ゴール」くらいの認識しか持ち合わせていない人は、意外と多いことでしょう。

今回は、フランス近現代史をふりかえりながら、フランス政治の特徴を考えてみたいと思います。

一直線に進まなかったフランス民主主義の発展

民主主義英仏比較
ゆるやかに民主主義を進展させたイギリスに比べ、フランス民主主義の進展は数度の革命的できごとによるところが大きかった
まず、フランスのたどった民主主義の進歩や社会変動が、イギリスのそれとはかなり異なったものである、ということに注目しなければなりません。

フランスより1世紀前に起こったイギリスの市民革命は、むしろ「中世の復活」でした。近世になって絶対主義王政を打ち立てた国王に対し、身分制議会が権力を取り戻す過程がイギリスの市民革命でした。

イギリスの民主化は、この身分制議会が徐々に民主化していくことによって進行していきます。当初わずかだった有権者人口は19世紀から20世紀初頭までの5回の選挙法改正によってようやく成人の全人口に達します。

また、人民の代表である下院の全面的優越がイギリスで確定したのは、1911年の議会法成立のことです。

それに対し、強力な絶対王政と封建的な旧制度(アンシャン・レジーム)が支配していたフランスで起こったフランス革命は、政治革命だけでなく、社会の大きな革命でもありました。

そしてフランス革命とその後のナポレオン帝政を経て、フランスは封建貴族から大ブルジョアが支配する社会へと変ぼうしました。しかしこれを打ち砕いたのが、第2フランス革命ともいえる1848年の2月革命であり、これによって中産階級が政治の中心を握ります。

しかし、その後も第2帝政が誕生したりして、イギリスのようなゆるやかな民主主義の進歩カーブを描くことはなく、フランスの民主主義は大きな革命的社会変動とおもに階段状に進歩していくのです。

その大きな変動の際、たえず混乱が生じ、その変動の要因となったり、または抵抗の手段として民衆蜂起があったのがフランスでは、その伝統が現代にも生きている、ということが、まず1つ言えることではないでしょうか。

「EU最大の農業国」フランスの社会構造

英仏の産業構造
フランス革命は農民の権利を伸ばしたため、都市労働力の提供という産業革命の要素確立に遅れをとった。今でも大農業国であり農村の発言力は大きい
フランスはまた、産業革命においてもイギリスに遅れをとります。

イギリスで産業革命が成功した原因の1つに、農地の大土地所有が半ば強制的に進み(囲い込み運動)、土地を失った農民が都市に流入、賃金労働者として労働力を提供する背景があったことがあげられます。

しかし、封建制が残ったフランスにはそれがなく、フランス革命では農民はむしろ土地を提供されたり、小作から自作農になることができたりしたため、産業革命に必要な労働力の提供には結びつきませんでした。

19世紀フランスのブルジョワたちは、イギリスのような産業資本家ではなく、植民地経営などを通じた商業・金融資本家たちでした。国内における富の蓄積は十分あったのですが、産業革命が本格化するような労働者の増加は、19世紀後半まで待たなくてはなりませんでした。

今でも、フランスは小麦の世界的生産国であり、EU最大の農業国です。農村から都市への人口移動は少なく、都市と農村のかい離は大きいと考えられています。都市の労働力を支えてきたのは古くからの都市市民階級と、移民です。さきほど名前を出したサルコジ内相は、ハンガリー移民の2世です。

フランスの地方制度も独特

さらに、フランスはまたイギリスやアメリカと違った政治体制を100年あまり続けることになります。

それは、地方制度の違いに求めることができます。

「自由の国」の印象が強いフランスですが、地方制度についていうと、アメリカやイギリスはおろか、日本からみてもその特殊性をみてとることができます。

日本の地方自治は明治期に導入した、フランスやドイツのような地方制度をベースにしているといわれます。しかし、戦後アメリカ型分権が導入され、また近年の分権改革により、フランスの制度とは徐々にかけ離れていっている側面があると言えるでしょう。

それについて、そしてそれが国民の政治意識に与える影響について、次ページではみていきたいと思います。
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