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欧州最後の独裁者がいる国ベラルーシって?(2ページ目)

「欧州最後の独裁者」と国際的に非難されるルカシェンコ大統領の3選を決めた大統領選がまた国際的に問題となっています。このベラルーシという国、なじみは薄いですがどんな国なんでしょう?

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ベラルーシ、その原点はどこにあるのか……?】
2ページ目 【ポーランドからロシアへ、そしてソ連との結びつき】
3ページ目 【ルカシェンコ独裁を批判する欧米、守りたいロシア】

【ポーランドからロシアへ、そしてソ連との結びつき】

ポーランド分割とベラルーシ

ロシア
ポーランド分割によってベラルーシは完全にロシア領となり、ロシア化が進行する
18世紀後半、ロシア・プロイセン・オーストリアによってポーランドは分割され、その名前は第1次世界大戦終了まで歴史から姿を消すことになります。

3度の分割によって、ロシアはワルシャワを含むポーランド東部とベラルーシを獲得。これに対して、数々の抵抗は19世紀まで頻発しますが、ベラルーシの農民が立ち上がることはありませんでした。

ロシア化が進められる一方、19世紀ヨーロッパで巻き起こった民族運動の波がベラルーシを覆うことはありませんでした。識字率20%だった農民が主体のベラルーシにおいては、しかたがなかったのかも知れません。

それでも、数少ないベラルーシのインテリたちは、独自に歴史学や文学研究を行い、ベラルーシ・ナショナリズムをあたためてきたといいます。ボクシェヴィッチという「ベラルーシ文学の父」が活動していたのは、このころです。

またこの間、ベラルーシのギリシア正教普及が進んだと考えられています。現在では、ユニエイトは少数派とみられています。

ベラルーシ独立の挫折と「白ロシア」の誕生

第1次世界大戦は、ロシアの専政体制に対する人々の不満を爆発させ、1917年のロシア革命を生みました。ここにロシア帝国は崩壊し、ロシアの実権はレーニン率いるボリシェビキ(後のソ連共産党)が握ることになります。

そんななか、ベラルーシの民族主義者たちは独自に「ベラルーシ人民共和国」を樹立します。しかし、結局どの国からも支援はなく、やがてロシアからの共産軍(赤軍)によって滅ぼされます。

ちなみに、この国の政府はその後アメリカに亡命し、なんと今なお、カナダ市民権を持つスルヴィラ氏(女性)を大統領とする亡命政権を維持しているということです。

やがて、「白ロシア・ソヴィエト社会主義共和国」が共産勢力によって成立。1924年、ロシア・ウクライナ・ザカフカスの3ソヴィエト共和国と一緒に「ソヴィエト社会主義共和国連邦」を作ることになります。

ちなみに「白ロシア」の語源ですが、どうもはっきりしません。ロシア併合後、ロシア地域と区別する意味でついた名前のようですが、諸説あってこれ、という説はないようです。

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ベラルーシの発展とソ連の解消

ベラルーシ経済
他の共和国がソ連と「抑圧的関係」だったのに対し、ベラルーシはソ連経済のもとで順調に発展した。それが今なお人々の意識の中には強いのか
その後、第2次世界大戦ののち、「白ロシア」はソ連とは別に国連加盟が許されます(ウクライナも同様)。スターリンはすべての連邦内共和国の加盟を主張したようですが、結局大戦で被害が大きかった2国が認められた形です。

戦後、ベラルーシは工業で発展します。「ソ連の組み立て工場」といわれ、ソ連の各共和国から原材料を「輸入」し、機械などの製品を各共和国に「輸出」していました。そのため、ベラルーシのソ連、特にロシアへの依存度は強まることになります。

さて、1991年のソ連崩壊によって、ベラルーシは初めて「独立」を果たします。つまり12月、ベラルーシ・ミンスク郊外、ベロヴェージでのロシア・ウクライナ・ベラルーシ3首脳合意によってCIS(独立国家共同体)樹立が合意され、ソ連大統領ゴルバチョフは辞任、ソ連は解体したのです。

しかし、ベラルーシ指導者たちは実はこれに消極的だったといわれます。ロシアとウクライナにはたくさんの資源がありますが、ベラルーシにはない。このCIS樹立によって、原材料輸入国である彼らとの結びつきが弱まり、産業に影響することを恐れたためです。

この恐れは、民衆も同じでした。それがやがてルカシェンコを生むことになるのです。

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ルカシェンコの大統領就任

ともあれ、独立したベラルーシの最初の指導者になったのが、シュシケヴィチ最高会議議長でした。シュシケヴィチはロシアから一線を画す自主路線を歩もうとしますが、経済は停滞し、94年に退陣に追い込まれます。

そのとき、ベラルーシにも大統領制が導入されます。シュシケヴィチ時代の首相ながら親ロシア派のケビッチがその有力候補になっていましたが、大統領選の結果は予想外でした。

すなわち、政府汚職の追及と、独特の派手なパフォーマンスで国民の人気を博し、ロシア提携による経済政策で国民の心をとらえた、ルカシェンコの勝利でした。
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