2ページ目 【60、70年代~黒い霧解散、ハプニング解散】
3ページ目 【80年代以降~死んだふり解散、嘘つき解散】
【80年代以降~死んだふり解散、嘘つき解散】
「田中判決解散」(1983.11.28)
派閥抗争が終わり、国民の関心は、ロッキード事件で起訴された田中への判決に移っていました。判決は1983年に出ることが予想されていました。参院選も迫っていました。田中は、中曽根首相に、与党に有利といわれる衆参同日選挙を迫ったといわれますが、結局参院選だけが行われ、自民党はまずまずの実績をあげました。
そして田中に有罪判決。世論は沸騰し、国会は混乱します。結局、衆参両院議長のあっせんで、衆院解散となりました。
大方の予想通り自民党は敗北、過半数割れしました。中曽根は党内批判を振り切り、新自由クラブ(1976年自民党から分裂)と連立し、政権維持をしました。
「死んだふり解散」(1986.6.2)
その後も田中による中曽根政権への干渉は続きますが、当の田中が1985年、脳梗塞で倒れます。もはや政界復帰は絶望的と見られ、中曽根は大きな力を振るえることができるようになります。そうなると、やはり基盤強化のため解散したい。しかし、「衆院選挙区定数の不均衡が違憲状態」になっているという最高裁の判決で、これを解消しないことには解散できない。当然、中曽根は不均衡解消に動きます。
しかし、やはり解散に警戒する勢力も多く、難航します。中曽根は公職選挙法改正の周知期間(施行までの期間)を30日と長く国会閉会後と設定し、警戒を解きます。こうして、定数不均衡解消のための改正法は成立しました。
ところが、「死んだふり」をしていた中曽根は国会終了後、いきなり臨時国会を開いて即日解散しました(本会議なし、議院運営委員会で解散詔書朗読)。しかも参院選とのW選挙。
結果、中曽根自民党は佐藤政権以来の圧勝をおさめ、自民党規約が改正され中曽根の総裁任期は延長。まさに中曽根の思う壺となった選挙でした。その後も隠然とした勢力を彼が誇っている背景にはこの結果があります。
「消費税解散」(1990.1.24)
中曽根政権のあと、自民党は消費税導入への反発とリクルート事件で大きく揺れます。政権は竹下→宇野→海部ところころ代わりました。特に、1989年参院選の歴史的敗北は自民党には悪夢のような衝撃でした。自民党はイメージ優先で海部俊樹を首相にし、回復を待ちました。そして海部内閣の支持が定着したところで、解散に踏み切りました。事実上の消費税導入賛否選となりました。
結果は、自民党はなんとか安定多数維持。社会党も議席を伸ばし、「勝者のない選挙」となりました。国民の「社会党の政権担当能力への疑問」が顕著になったといえます。
「嘘つき解散」(1993.6.18)
「政治改革解散」とも。海部は選挙制度改革法案が廃案され、解散しようとしましたが、逆に竹下派の大きな反発を買って退陣。その後、かねてからのホープ宮沢喜一が首相になりました。期待を浴びた宮沢政権ですが、やはり政治改革で大きくつまづきます。やはり選挙制度改革法案が廃案になります。宮沢に公約違反、嘘つきと非難の嵐。
そして党内は分裂状態となり、野党提出の内閣不信任案に羽田孜・小沢一郎派などが賛成。不信任案は可決され、解散。自民党から大量に議員が離党、新生党・新党さきがけが誕生しました。
結局、自民党は大幅に過半数割れし、細川護煕を首相とする8党派連立政権が誕生します。自民党は結党以来始めて野党に転落したのでした。
「争点なき解散」(1996.9.27)
「小選挙区解散」とも。このあたりから、解散のネーミングが難しくなります。解散の意味がはっきりしなくなるからです。細川政権はスキャンダルであっけなく崩壊、そのあとを継いだ羽田も社会党の連立離脱で崩壊、自民党と社会党の連立で村山富一政権ができました。
その後、態勢を立て直した自民党の橋本龍太郎が政権を「禅譲」されます。橋本は野党が結集した新進党が態勢を固めないうちに解散に打って出ます。
争点はぼやけたままで、自民党は第一党維持、新進党は思ったほど議席を獲得できませんでした。結局新進党は1997年、解党。
「神の国解散」(2000.6.2)
橋本政権は景気低迷で崩壊し、自由・公明党と連立した小渕政権が誕生、超積極財政を展開しますが急死。「密室の談義」で森政権が誕生します。すでに小渕政権のころから今年は解散、という空気になっていて、森政権はルーティン・スケジュールを消化するように解散します。
しかし政権主導の解散にもかかわらず、森首相個人の不人気(特に不評を買ったのが「日本は天皇を中心とする神の国」発言)で議席減。公明党との連立で、なんとか政権を維持しましたが、すでに政界の関心はポスト森へと移っていったのでした。
「構造改革解散」(2003.10.10)
そして、小泉純一郎の登場です。小泉構造改革は、歓迎と戸惑いを持って迎えられます。熾烈な「抵抗勢力」との戦いの末、2003年9月の総裁選で橋本派を分断し再選に成功。この勢いで解散へと駒を進めます。
一方、小沢率いる自由党は民主党と合同、イギリス型選挙公約「マニフェスト」を準備して決戦に挑みます。
総選挙の結果、小泉自民党は予想ほど議席は伸びませんでしたが、自公連立で過半数確保。一方、民主党は躍進し、自民・民主で全議席の85%以上占有。イギリス並みの二大政党状態となりました(拙稿「二大政党制って何?」もご参照下さい)。
「郵政解散」(2005.8.8)
そして、郵政解散です。前代未聞、首相の独断で決まった解散。果たして結果はどうなるのでしょうか?※「戦後衆議院の解散まるわかり!」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。
▼こちらもご参照下さい。
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