2ページ目 【宮家の急増から戦後の皇族大離脱まで、激動の皇族史】
3ページ目 【「旧皇族」11宮家のその後、そして現在……】
※旧皇族といえども今では一般の人です。離脱当時当時皇族であった人、あるいはなんらかの公職についていると筆者が確認できた人以外のお名前は伏せさせていただきます。
東伏見宮家・閑院宮家
東伏見宮家は当時、すでに亡くなっていた依仁親王のお妃、周子さんしかおらず、現在、東伏見家は断絶しています。閑院宮家は終戦時陸軍少将だった純仁氏(当時は春仁王)が当主で、あるスポーツ団体の理事長などをつとめられ、1988年死去。子どもはおらず、閑院宮家も断絶しています。
伏見宮家
離脱当時、男子は博明氏1人のみ。ご長女がおられるのみのようです。ある石油会社にご勤務の後、現在は講演や団体の役員などをしておられるようです。山階宮家
当時唯一の皇族は武彦氏。武彦氏は海軍少佐にまでなりましたが、新婚間もないころ、お妃の皇族佐紀子さんを関東大震災で亡くされてから、元気がなくなり、その後、梨元宮の皇族を見初めて求婚するも果たせず、それ以後は軍事や政治からも離れて孤独に生きておられたそうです。1987年没。ゆえに山階家は断絶しています。ただ、武彦氏の弟で、戦前すでに皇族離脱し侯爵となっていた芳麿氏(1989年没)が創設したのが、あの紀宮さまも所属していらっしゃる権威ある機関「山階鳥類研究所」。その後もこの宮家に縁のある方が理事長をつとめていらっしゃいます。
賀陽宮家
離脱当時当主だったのが恒憲氏です。元陸軍中将で、1978年に没。この宮家は子だくさんで、皇族離脱の際一時金をもらっただけでしたから、苦労が大きかったようです。恒憲氏の次男が治憲氏で、外務官僚となりスイス・デンマーク・ブラジル大使などを歴任。お子様の状況は、わかりません。ほかにも恒憲氏はあわせて5人の男子をもうけています。
ただ、恒憲氏の長男邦壽氏は男子をもうけないまま1986年没。治憲氏らはじめ、ほかのご兄弟たちは、明治時代のきまりなら皇族離脱→侯爵になっていたはずという指摘があり、「皇族復帰」は難しい、といわれています。
久邇宮家
朝彦王から、邦彦氏の系統と、多嘉王妃静子さんの系統にわかれ、皇族離脱を迎えます。現在当主にあたるのが久邇邦昭氏(離脱当時皇族)で、神社本庁統理霞会館理事長をつとめられています。ご長男、ご次男がいらっしゃいます。ご子息以後の消息はわかりません。
多嘉王妃静子さんの系統はすでに皇族離脱して侯爵になっていて、その後、静子さんの次男T氏が梨本家の養子になっています。
朝香宮家
皇族離脱当時の当主鳩彦氏は陸軍大将をつとめましたが、戦後は隠遁、1981年没。旧朝香宮邸は昭和50年代前くらいまで、国の迎賓館として使われ、今は東京都庭園美術館になっています。と思ったらその建物のレポートがオールアバウトの記事になってました。陰影が心地よい旧朝香宮邸をご覧ください。
同じく離脱時皇族だった孚彦氏は航空少佐。戦後は日本航空に入っています。そのお子様で幼い皇族だった誠彦氏はチェロ奏者を経て大手レコード会社勤務。ご長男がいらっしゃいます。
ちなみに、埼玉県の朝霞市は、ゴルフクラブが移転する際、東京ゴルフクラブの会長が鳩彦氏であったため、それを由来につけられた市名です。
東久邇宮家
問題の、東久邇宮家です。1つは、東久邇稔彦氏の波乱に飛んだ生涯です。皇族時は「皇族の反逆児」とよばれ、敗戦時にはいきなり首相に担がれ、その後皇族離脱、数々の事業に失敗、新興宗教「ひがしくに教」の設立と無理やりの解散、などなど……
それでも1990年、102歳という長命を全うし、首相経験者として世界一長命とギネスブックにも登録されています。
さて、今ひとつは、天皇家との関係です。稔彦氏の長男で離脱当時皇族だった盛厚氏の奥様が、昭和天皇のご長女、成子さんです。そしてそのお子さんが、やはり離脱当時幼い皇族だった信彦氏です。
旧皇族は先にも述べたとおり、すべて現天皇家とはかなり血縁関係が薄いのですが、信彦氏は実に「昭和天皇の孫」、ということになり、皇太子殿下、秋篠宮殿下と同じ血縁関係になるのですね。
信彦氏にはご長男がおられるため、「東久邇家を皇族復帰させたらどうか」という意見が最近増えてきました。これが考えどこの問題ですね。
信彦氏は離脱時2歳。その後は民間銀行に勤務。そのご長男ですから、血縁関係としては「昭和天皇のひ孫」。とはいえ、普通に一般人として生まれて生きてきたわけで……このあたり、この後大きな議論になるかもしれません。ご本人のご意思もあるでしょうし。
ちなみに、稔彦氏にはあと2人子がいましたが、いずれも指令前にすでに皇族離脱。お一人はブラジルに渡り、その息子さんはブラジルに帰化という話も伝わっています。
梨本宮家
皇族離脱当時、守正氏と奥様だけ。その後、先にも述べましたが久邇家から養子がきて「梨本家」自体は残っています。ただ、その方の息子さんは再びもとの苗字を名乗っていて、事実上、宮家としての梨本宮家は断絶した形です。北白川宮家
皇族離脱時、残っていた男子は道久氏だけです。大手電機メーカーに就職、その後財団理事を経て伊勢神宮大宮司になっています。道久氏には3人のお子様がいますが、いずれも女性です。ちなみに三女の方は……私と同じ歳ですねえ。他に血縁はなく、北白川家もいずれ絶えることになると思われます。
竹田宮家
ある意味、戦後一番はなやかな活躍をしたのが、竹田家といえるでしょう。先にも言ったとおり、離脱時の当主・恒徳氏はIOC(国際オリンピック委員会)の名誉委員になっているわけですから。1978年没。恒徳氏の次男、恒和氏は大手商社勤務を経て、現在はJOC(日本オリンピック委員会)の会長です。実際、五輪選手としても2回、馬術選手として出場しています。
このような竹田家も当然、「国家への貢献多大」という意味で「皇族復帰」に推す声が大きくなると思われます。
「旧皇族復帰」どう考えますか?
以上、11旧宮家のその後を追ってみました。みなさん今は一般人なので、調査しようにもたどり着けない壁(プライバシーの問題ですね)があることはご承知おきください。さて、女帝を認める、つまり愛子さまを初の「女系天皇」の祖としてみとめるか。それとも「旧皇族復帰」という「ウルトラC」を使ってでも「男系天皇」を維持するのか。みなさんは、どう思われるでしょうか。
※今回の記事「旧皇族の成り立ちと現在」についての参考書籍・資料はこちらをごらんください。
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