(2005.06.20)

第37代アメリカ合衆国大統領、リチャード・ニクソン。彼ほど評価が真っ二つに分かれる政治家はいません。毛沢東と初めて握手を交わし、冷戦の緊張を和らげた平和主義者。ウォーターゲート事件で明るみになった、史上まれにみる権力濫用を行った反民主主義的大統領。彼とその時代を追ってみます。

1ページ目 【「帝王大統領」はいかにして生まれたか】
2ページ目 【ニクソン外交の「平和主義」と「現実主義」】
3ページ目 【ウォーターゲート事件と「帝王大統領制」の崩壊】

【「帝王大統領」はいかにして生まれたか】

行政権はすべて「大統領一人」に委ねられる

そもそも、「アメリカ合衆国大統領」とは何なのでしょう。たとえば、日本の場合は憲法で、

第65条 行政権は、内閣に属する。

とあるように、内閣総理大臣個人にではなく、内閣総理大臣を中心とした内閣という合議体に行政権を委ねるという、合議的行政権力制を採用しています。これらの原則に基づき、内閣の意思は全会一致でなければならないことが慣習として決められています。

しかし、アメリカ合衆国憲法では、

第二条 第一節 
(一)行政権は、アメリカ合衆国大統領に帰属する。大統領の任期は四年とし、同一任期で選任される副大統領と共に、左記の方法で選挙される。
(訳:在日アメリカ大使館サイトより引用。下線は筆者による)

と、思いっきり大統領個人そのものに行政権を委ねています。大統領の権威の高さが、この条文で、如実にうかがわれます。

さらに、

第二条 第二節 
(一)大統領は、合衆国の陸海軍および合衆国の軍務に実際に就くため召集された各州の民兵の最高司令官である。(後略)
(引用元:前掲サイト)

となっているように、合衆国大統領は、世界最強の軍隊を率いる「コマンダー・イン・チーフ」でもあるわけです。

最初は「弱かった」大統領

とはいえ、アメリカの大統領は、1930年代の世界恐慌発生まで、あまり歴史上に出てきません。教科書に出てくるのはワシントン、モンロー、リンカーン、ウィルソンくらいです。

大統領は、行政権については強大な権限を委ねられていた反面、「議会主義」に基づいて、立法権についてはほとんど権限を与えられていないからでした。

それは、今も原則的にそうです。大統領には、法案提出権も、予算作成権もありません。大統領には議会出席権さえありません。

大統領が議会で演説しているのは、議会に「招かれて」訪問し、教書(大統領が議会に対して進めてほしい案件を示したもの。法的拘束力はない)について説明したり、そのときの重要な外交問題について報告したりしているにすぎません。

そして、大統領が主体として持っているはずの外交政策決定権もまた、議会による制約を受けます。

大統領が他国と締結してきた条約は、上院で出席議員の3分の2の同意がなければ批准できません。ゆえに、外交政策においても、大統領は、時として、非常に無力でした。

たとえば第1次世界大戦末期、「平和原則14カ条」を示して、国際連盟創設に力を尽くしたウィルソン大統領でしたが、しかし彼が作った国際連盟であるにもかかわらず、議会は、アメリカの連盟加盟に同意しませんでした。

この出来事は、いかに大統領が無力であったかを示しているといえるでしょう。

当然、ホワイトハウスには、必要最小限のスタッフしか置くことが許されませんでした。初代大統領ワシントンの、最初の日課、それは自ら郵便ポストに行き、郵便物を取りに行くことだったのです。

世界恐慌~第2次大戦を経て大統領権限は格段に強化

しかし、世界恐慌を機にこの流れは変わります。フランクリン・ルーズベルトが大統領になると、この未曾有(みぞうう)の恐慌からアメリカを救うため、大統領のリーダーシップで強力な経済政策「ニューディール政策」を推し進めるようになると、次第に、大統領に権限が集まり始めます。

そして、その後すぐに勃発した第二次世界大戦、そして米ソ冷戦の開始は、議会と違って、機敏に事態対処が可能なホワイトハウスに対し、さらに大きな権限を与えることになり、議会もそれを認めざるを得ませんでした。

そして、ホワイトハウスに大統領補佐官国家安全保障会議(NSC)などが置かれ、大統領の権力はどんどん増していきます。

その権力が頂点に達したのが1969年、「帝王大統領」とよばれたニクソンの就任だったといわれています。

ニクソンは、権限強化されたホワイトハウスのシステムををフルに活用し、少数の限定されたスタッフによって構成されるNSCを事実上の外交政策決定機関に格上げし、このリーダーであったキッシンジャー補佐官(のち国務長官)に大きな権限を与えました。

こうして、アメリカの外交権は、完全に議会から大統領に移りました。しかし、ニクソンのこうした少数派による秘密主義的な外交政策の立案は、しばしば批判をあびるようになったのです。

デタント(緊張緩和)の立役者としてのニクソン

さて、そうはいっても、ニクソンがベトナム戦争を終結させ、中国を訪問し、そしてソ連にも訪問、軍縮の努力をして、いわゆるデタント(緊張緩和)を進めた立役者であることはいうまでもありません。

しかし、それでもなお、ニクソンは批判され続けているわけです。なぜでしょう。それには、ニクソンの、冷酷非情ともいえる超現実主義的な外交姿勢を見ていく必要があるでしょう。

次のページで、その辺りをお話します。

◎1930年代をきっかけに大きく変化した大統領と議会の力関係