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外交を見る目とは,ケナン先生に外交を学ぶ(2ページ目)

3月17日、米ソ冷戦を決定づけたといわれる「封じ込め政策」の生みの親、ジョージ・ケナン氏が亡くなりました。しかし、私は密かに、死んだばかりのケナン先生を連れ戻し、いろいろ聞いてみました。……

執筆者:辻 雅之

1ページ目 【ケナン先生の冷徹正確なソ連分析が封じ込め政策の基盤に】
2ページ目 【経済的手段を重視して成功した封じ込め政策】
3ページ目 【ケナン先生の目から見た冷戦とイラク戦争とは】

【経済的手段を重視して成功した封じ込め政策】

ソ連「封じ込め」の手段、それには正当性が必要だった

封じ込め、っていうのはソ連の勢力をこれ以上伸ばさないため、あらゆる手を尽くす、ってことですよね。これが結局冷戦につながったんですが・・・

「それにはちょっと反論もある。あらゆる手、というが、私が考えていたのは『正当性』のある手段だ。もちろん、共産主義勢力との内戦になっていたギリシアなどは軍事援助の必要性もあったが・・・」

それを表明したのが、トルーマン・ドクトリンだったのですね。

「そう。で、『正当性』の話になるが、要するにこういうことだ。共産主義というのは、単なる独裁とは違い、結構人を引き付けるものがある。人々がみんな絶対的に平等になるようにするというユートピア思想。

世界全体がそうなれば、もう2回にわたっておこされた悲惨な大戦は起こりません、ということだったから、これは広まるわけさ。君らも、人生の中で一度は、共産主義に魅力を感じたことがあっただろう。

だから、それに対抗するには、力ではダメだ。反発を招く。ゆえに、われわれは自由主義アメリカの持つもう1つのスーパー・パワー、経済力を使うことにしたのだ。自由主義経済で、戦争直後の荒廃したヨーロッパを救うことで、共産主義に対抗しなければ、『正当性』がない、と感じたのだ。」

その理念で実行されたのが、有名なマーシャル・プランだったのですね。大規模なヨーロッパの復興計画。当初はソ連の影響下に入りつつあったチェコなんかも参加を表明していたのですよね。

「もっともチェコは不幸なことになってしまったが・・・」

マサリク外相の謎の死、などですよね(公式には自殺だが、他殺説が有力。この時の大統領ベネシェも辞職し、なぜかすぐ死んでいる)。でも、そういう歴史があったから、チェコの人々は1990年のビロード革命を支持したわけですよね。

「まあ・・・でも、それは悔やまれる話ではある。しかし、何とかそれによって西ヨーロッパだけでも救うことができたわけで、それはよかった。」

「封じこめ政策」は冷戦の呼び水になった

しかし、冷戦を産んでしまうきっかけにもなったわけです。

「だから、それは反論したい。われわれは、ああいう激烈な対立を呼び起こすつもりはなかった。しかし、誤算だったのは、ソ連が屈しなかったこと、しかも、アメリカの絶対的覇権を確保すると信じていた核兵器を、ソ連があまりにも早く作ってしまったこと(1949年)だ。あれ以降、冷戦という名の『恐怖の均衡』構造が固まってしまった。」

先生の「封じ込め」という言葉もインパクトを持ちました。「『敵』を封じ込めよ」と。

「『X論文』(1947年7月号のフォーリン・アフェアーズに掲載された、封じこめ政策の導入を論じたケナンの匿名論文)だな。」

あれは、先に発表されたトルーマン・ドクトリンを正当化するために書かれたんですよね。

「違うって。同時期に書いてたんだ。国務省のみんなに、封じ込め政策の理論武装をしてもらうために、まあ、内輪のために書いていたんだ。

だが、トルーマン・ドクトリン発表の後、どうも誤解されている部分、なんかソ連と戦ってしまえ、みたいに思われるところがあったので、その誤解を解くために、国務省の偉いさんに交渉して匿名で発表させてもらったのだ。だからページ数は少ないでしょ。17ページだったかな。」

では、次のページで、先生、そのX論文について語って下さい。

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