2ページ目 【復興を遅らせるスリランカの深刻な民族対立】
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【政府さえないに等しい津波被害国ソマリアの内戦】
「政府のない国」ソマリアの深刻
インド洋津波は東アフリカにも達しました。特に被害が大きかったのがソマリアです。この国の復興はさらに深刻です。なにせ、「政府がない」のですから。そのため、いまだになぜあんな高波がきたのか知らない人も多いみたいです。「神が怒った」という人もいれば、「これからまた高波が来る」というデマも飛んでいたりするようで・・・。
ソマリアには民族紛争はありません。基本的に大半がソマリ人だからです。しかし、共通の先祖を持つ(とされる)氏族(クラン)意識が強く、これがソマリアに分裂をもたらしているともいわれています。
ソマリア内戦発生と国連PKO
1969年にクーデターで実験を握ったバーレは、社会主義を標榜しながら、実際は自分のダレド族・内マレハン氏族を優遇し、他氏族を弾圧しました。これに対して1980年代末から各地で反政府運動が勃発、1991年バーレ政権は崩壊します。しかし、新しくできた暫定政府も、いろいろな氏族の集まりであったため、やがてアイディード派とマハディ派(ともにハウィエ氏族だが、前者はハバ・ギディエル小氏族、後者はアブガル小氏族)に分裂し、また他の氏族も分離し、複雑な内戦になってしまいました。
この事態に、国連は1992年、戦闘行為の中止を求める決議を行い、さらにPKO(平和維持活動)として国連ソマリア活動(UNOSOM)が実施されます。
しかし、対話による問題解決をめざすUNOSOM代表サヌーンと、PKF(平和維持軍)の展開による平和実現を目指すガリ事務総長の路線対立もあり、内戦はなかなかおさまりませんでした。
そこでガリ事務総長はアメリカと手を組み、大規模な「平和創出活動」を行うことを決断します。アメリカも3万人以上の兵力を出すことになりました。こうしてUNOSOM IIが展開されることになりました。これは「当事国の同意のない」はじめてのPKOでした。
国連とアメリカ主導のPKOの失敗
こうして、アメリカを中心として30国以上で組織される多国籍軍が展開されることになりました。アメリカ軍は各派のなかで、特にアイディード派を最初から敵視し、逮捕すべく大規模な戦闘を行いました。そのため多数の市民が巻き添えとなって犠牲となり、アメリカや国連に対する反感が強まります。
一般住民による反米デモが展開されるなか、アメリカ軍も次第に内戦の泥沼に引きづられるようになります。犠牲者も増えます(その様子を描いたのが映画『ブラックホーク・ダウン』ですね)。
結局、UNOSOM IIは16億ドルの経費を費やしながら、失敗のうちに1995年に終結を余儀なくされたのでした。
事実上3つに分裂しているソマリア
現在、ソマリアは事実上3つに分裂しています。ソマリランド・プントランド・南西ソマリアです。このうちもっとも政情が安定しているのがソマリランドです。良港であるベルベラを抱えるこの地域は、経済状態も他の地域よりいいということです。ただし、ほかの地域と再統合することは拒否している状態です。
2000年、隣国ジブチで和平交渉がもたれ、ハッサン氏が3年の任期で暫定大統領に選ばれました。しかしソマリランドやアイディード派は承認しませんでした。
結局3年を経てもソマリアの統合は実現せず、2004年、暫定議会がケニアに設けられ、ユスフ氏が暫定大統領に選ばれました。今度はアイディード派は承認しましたが、ソマリランドは承認していません。
またここ数年の無政府状態のなか、イスラム原理主義勢力が台頭しており、国連とAU(アフリカ連合)からのPKF派遣を要請しているユスフ暫定大統領に対して彼らが反発していることから、ソマリアの情勢はまだまだ楽観を許しません。
そんなこんなで、まだ暫定政府はケニアにとどまったまま。中央政府不在のソマリアが、内戦と津波の復興に立ち上がれるのは、いつになるのでしょうか。
なぜアフリカでは氏族・部族争いがおこるのか
ところで、アフリカではこのような氏族・部族の抗争が後を絶ちません。これには、ヨーロッパ諸国の植民地政策が大きな影を落としています。アフリカ諸国を植民地化したヨーロッパ諸国は、自分たちへの不満をそらすため、ある氏族を優遇、そしてその氏族に別の氏族を弾圧させたりして氏族・部族争いをあおり、植民地統治に利用していたのです。
氏族・部族抗争をおこすアフリカ人はなんて愚かなんだろう、なんていう人もいますが、それは何も知らないで言っている議論。その抗争の大もとを作ったのは先進諸国であることを忘れてはいけません。
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