2ページ目 【台湾人の独自意識が高まった1990年代以降】
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【台湾人の独自意識が高まった1990年代以降】
台湾は今独立をかかげる陳水扁政権、中国とは緊張関係再燃か
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今はあまり使われなくなった言葉ですが、「外省人」「本省人」という言葉があります。国民党政権と共に本土からわたってきて、長年台湾を支配してきたのが外省人。台湾出身の人びとを本省人といいます。
当初、外省人中心の国民党政権は、中国に「反攻」つまり中国本土をとりもどすため、臨戦体制をつねに敷き、反体制派をつぎつぎに粛清してきました。そのほとんどは本省人で、迫害、虐殺とえらい目にあってきたのですね。
しかし、台湾が経済的に発展してきた1980年代後半、はじめて本省人の総統が誕生しました。これが李登輝だったのですね。彼はその後、台湾人意識を高める政策を実行し、ついには二国論、つまり中国と台湾は別々の二つの国である、と主張しはじめたのですね。
そして李登輝が引退した2000年の総統選挙で、台湾は独立国になるべきだと強固に主張していた民主進歩党、略して民進党の陳水扁(チェン・ショイピエン)主席が総統に当選、それまでの「外省人支配」の反動もあってか、台湾を中国ではない独立国にしようという動きは高まって行きました。
しかし、陳水扁政権のもとで、台湾経済も日本のようにじょじょに低迷してきました。そんななか、高成長を続ける中国と関係を改善し、中国への投資や中国との通商を活発にしていこう、という動きも出てきました。
特に、2000年の総統選挙ではじめて野党になった国民党は、中国を刺激せず、中国から独立するような宣言やそれにつながる憲法改正、国名の変更などに反対する立場を明確にし、民進党とやりあってきました。
そしてむかえた2004年今年の総統選。僅差ながら、陳水扁候補が再選を果たし(ただし、3/22現在、その選挙の有効性をめぐってもめていますが)、台湾人の台湾人意識は、いよいよ鮮明になりつつあるということがいえると思います。
陳水扁総統は、2006年の憲法改正をうたっています。今の憲法は、台湾政府の領土をモンゴル・チベットまで含めた中国全土としています。これはいかにも現実離れしていて、ここを改正するのではないかといわれています。
しかし、さらに台湾の独自色を強める内容にするのではないかともいわれており、「一つの中国」を主張する中国をこれから大いに刺激することになるかもしれません。中国は、台湾は中国領であり、独立は認められない、独立するなら軍事行動をとるといっています。
今のところ、陳水扁総統は国名の変更とか独立宣言とかは否定していますが、政権が2期目に入り、さらに独立指向を強めることになると、中国との間に大きな緊張関係がうまれることは避けられそうにありません。
今後、台湾と中国はどのようになっていくのでしょうか。