【CONTENTS】
スポンサーの意向で始まった国際ルート(1P目)
スポンサーには逆らえなかったIOC(2P目)
今回の聖火リレーを「失敗」と報道する海外メディア(3P目)
スポンサーの意向で始まった国際ルート
出展:北京五輪聖火リレー公式サイト |
出展:北京五輪聖火リレー公式サイト |
今回の北京五輪の聖火リレーを改めて見てみますと、まず3月25日にオリンピック発祥の地であるギリシアのオリンピアを出発、それから世界5大陸の21カ国をリレーと飛行機で移動し、そして5月5日に中国に到着。ここまでが「国際ルート」になります。その後は中国国内の各都市を回る「国内ルート」に入り、8月8日の開会式の日に北京に到着して終了します。
この国際ルートは、2004年のアテネ五輪から始まったものでした。実は、今後ずっと続けられると決まっているわけではないので、「始まった」という言い方は適切ではないかもしれません。2000年のシドニー以前までは、このような世界の各国を周る聖火リレーはありませんでした。
ではなぜ国際ルートは始まったのでしょうか?それは単純にスポンサーの意向でした。五輪と言えども開催には莫大な資金が必要で、コカ・コーラなど世界の有名企業が多数スポンサーについています。国際ルートはスポンサーの意向で、各国を長い時間をかけて周ることによる広告・宣伝効果を期待し、2004年のアテネ五輪で実験的な意味も込めて実行されました。
また地理的な問題も存在していました。というのも、開催地のアテネが聖火の出発地であるオリンピアと同じギリシア国内にあり、距離が約200kmと非常に短かったという事情があります。そのために、一直線に行ってもすぐに終わってしまいます。またギリシア国内だけを周遊しても、ギリシアは小さな国であるのでこちらもすぐに終わってしまいます。いわば時間稼ぎの意味も含めて国際ルートのアイデアが考えられました。
アテネ五輪の国際ルートは成功に終わり、2000年シドニーでの聖火リレー資金調達額(1500万米ドル)を上回る資金が調達できたと言われています。
→次ページ。そして今年の聖火リレーになったわけですが……